シント・マールテン島
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セント・マーチン島
Saint Martin現地名:
サン・マルタン島 (フランス語)
シント・マールテン島 (オランダ語)
愛称: The Friendly Island
北部が仏領サン・マルタン
南部が蘭領シント・マールテン

地理
場所カリブ海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯18度04分 西経63度03分 / 北緯18.067度 西経63.050度 / 18.067; -63.050座標: 北緯18度04分 西経63度03分 / 北緯18.067度 西経63.050度 / 18.067; -63.050
諸島リーワード諸島小アンティル諸島
最高峰ピク・パラディ
行政
フランス
海外準県 サン・マルタン
首都マリゴ
オランダ
自治領 シント・マールテン
首都フィリップスブルフ
人口統計
人口72,892人(2006年1月1日年時点)
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セント・マーチン島(セント・マーチンとう、英語: Saint Martin)は、カリブ海リーワード諸島小アンティル諸島北部)にある島。島の北側はフランス領、南側はオランダ領に分割されており、フランス語サン・マルタン(仏: Saint-Martin)、オランダ語シント・マールテン(蘭: Sint Maarten)とも呼ばれる。
地理周辺地図
位置・広がり

この島は、リーワード諸島北部に位置している。北にアンギラ海峡 (Anguilla Channel) を隔ててアンギラ島(イギリス自治領のアンギラ領)、東南にサン・バルテルミー島など(フランス領の海外準県サン・バルテルミー)が、それぞれ近接してある。また、島の南方にはオランダの特別自治体(BES諸島)であるサバ島シント・ユースタティウス島がある。

島の面積は面積 88 km2。島の中央にフランスとオランダの国境線が走っており、現地では基本的にフランス領側(French Side フレンチ・サイド)をフランス語でサン・マルタン、オランダ領側(Dutch Side ダッチ・サイド)をオランダ語でシント・マールテンと呼び分けている。両者は等分されてはおらず、おおむねフランス:オランダ=4:3の比となっている。

サン・マルタン(フランス領側)はフランスの海外準県で、面積 54km2、人口 31,397人、首府はマリゴ。行政区画としてのサン・マルタンには、タンタマール島(英語版)など周辺の小島も含む。

シント・マールテン(オランダ領側)はオランダの自治領(オランダ王国構成国)で、面積 34km2、人口 35,000人、首府はフィリップスブルフ

フランスの領土とオランダの領土が地続きで接しているのは、世界でここだけである。
地勢セント・マーチン島地図(英語)

島はおおむね山がちな地形であり、起伏に富んだ多くの丘と多くの入り江がある。また、砂州が発達し、多くの潟湖を擁している。まとまった広さの平坦な土地は砂州上などに限られている。

島の中央部に山塊があり、最高峰はフランス領側にあるピク・パラディ(424m)である。

西部には、カリブ海最大の潟湖である[1]シンプソン・ベイ・ラグーン (Simpson Bay Lagoon) が広がっており、周辺はリゾート地帯となっている。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

ランドサット衛星写真

フィリップスブルフ

マリゴ

気候

フィリップスブルフ
雨温図説明

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気温(°C)
総降水量(mm)
出典: ⇒www.weatherbase.com

インペリアル換算
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  2.4 8272  1.7 8172  1.7 8273  2.6 8374  3.8 8476  2.5 8677  3 8677  3.9 8777  5.2 8778  4.3 8677  5.1 8475  3.4 8274
気温(°F)
総降水量(in)

海洋性熱帯気候で、北東貿易風が卓越している。気候は温暖で、年平均降水量は1500mm。7月から11月までハリケーン・シーズンである[2]。島に特に甚大な被害をもたらしたハリケーンとして、1960年の「ドンナ」 (Hurricane Donna) 、1995年の「ルイス」 (Hurricane Luis) が挙げられる。
歴史
「発見」

島には、先住民としてカリブ族アラワク族が暮らしていた。

1493年11月11日コロンブスは第2回航海でこの島を「発見」し、11月11日が聖マルティヌス聖名祝日聖マルティヌスの日)であることにちなんでサン・マルティン島(スペイン語: Isla de San Martin)と名付けた。コロンブスはこの島をスペイン領に帰するものと主張したが、スペインはこの島への植民を重要視しなかった。

島は各国の船や海賊たちが水や塩の供給地として利用するようになり、「塩の島」Soualiga と呼ばれるようになった[3]。17世紀に入ると、フランスとオランダがこの島に着目した。フランス人たちはトリニダードバミューダの中間に拠点を欲し、オランダ人たちはニューアムステルダムブラジルの中間に拠点を欲していたのである。
植民

オランダ人たちは1627年から1631年にかけて島に植民を開始し[3]1631年には町とアムステルダム砦 (Fort Amsterdam (Sint Maarten)) を築いた。島の人口は少なかったため、拠点建設は容易に進んだ。Jan Claeszen Van Campen が最初の総督になり、間もなくオランダ西インド会社が塩鉱の経営に乗り出した。同様にフランス人やイギリス人の植民者も島に進出した。かれらが塩の交易に成功すると、スペインもこの島の価値に気づくようになった。当時、スペインとオランダは八十年戦争を繰り広げており、この島にも戦火は及んだ。

1633年、スペインがオランダから島を奪取し、入植者たちのほとんどを追放した (Capture of Saint Martin (1633)) 。


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