シンデレラ_(ロジャース&ハマースタインのミュージカル)
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ロジャース&ハマースタインの
シンデレラ
Rodgers & Hammerstein's Cinderella
原作
シャルル・ペロー
シンデレラ
脚本オスカー・ハマースタイン2世
監督ラルフ・ネルソン
出演者ジュリー・アンドリュース
ジョン・サイファー
エディ・アダムス
ケイ・バラード
アリス・ゴスリー
作曲リチャード・ロジャース
国・地域アメリカ合衆国
言語英語
各話の長さ76分
製作
プロデューサーリチャード・ルワイン

放送
放送チャンネルCBS
放送期間1957年3月31日 - 単発放送
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『ロジャース&ハマースタインのシンデレラ』 (Rodgers and Hammerstein's Cinderella) は、ロジャース&ハマースタインリチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞)によるテレビ・ミュージカルメルヘンの『シンデレラ』、特にフランスシャルル・ペロー版『Cendrillon, ou la Petite Pantoufle de Verre 』を基にしている。物語は、残酷な継母と自己中心的な義姉妹から強制労働させられている若い女性がより良い生活を夢見ている。魔法使いの助けにより、シンデレラはプリンセスに変身し、彼女のプリンスを見つける。

『シンデレラ』はロジャース&ハマースタインによる唯一のテレビ・ミュージカルである。1957年3月31日、ジュリー・アンドリュース主演によりCBSで生放送され、1億人以上が視聴した。1965年と1997年の2回、テレビ・ミュージカルとしてリメイクされた。1965年版はレスリー・アン・ウォーレン、1997年版はブランディが主演した。どちらの作品でもリチャード・ロジャースによる他のミュージカル作品の曲が追加された。

ロンドンのウエスト・エンドでのパントマイム 版など多くの舞台版も製作され、オリジナル版放送直後のニューヨーク・シティ・オペラ版はツアー公演も行なった。2013年のブロードウエイ版『シンデレラ』はダグラス・カーター・ビーンによる新たな脚本で、ローラ・オズンズ、サンティノ・フォンタナが主演した。
経緯

1950年代、ミュージカルがテレビで放送されることが多かった。この10年間で『アニーよ銃をとれ』、『ワンダフル・タウン』、『エニシング・ゴーズ』、『キス・ミー・ケイト』などのミュージカルのテレビ版が放送された[1]。1955年、NBCはメアリー・マーティン主演によりブロードウェイ・ミュージカル『ピーター・パン』のテレビ版を製作した。大ヒットしたため局はより家族向けのミュージカルを製作することにした。リチャード・ロジャースは第二次世界大戦を題材にしたドキュメンタリー『第二次世界大戦全史』の作曲でエミー賞を受賞していた。NBCはロジャース&ハマースタインに接触し、ただ単に既存のミュージカルのテレビ版を製作するのではなく、テレビ用のオリジナルのミュージカルの作詞作曲および題材の選定を依頼した。2人はテレビで放送されたことのないメルヘンの『シンデレラ』を選び、業界関係者のリチャード・ルワインに助言を求めた。ルワインは、カラー放送を始めた当時のCBSの副社長であった。彼は2人にCBSはすでにテレビ・ミュージカルの計画があり 、そしてすでにブロードウェイで『マイ・フェア・レディ』の主演を務めたジュリー・アンドリュースと契約していることを告げた。ロジャースの自伝によると「ジュリー・アンドリュースと仕事ができるチャンスがきた」[2]。ロジャース&ハマースタインはCBSと契約を結んだ。

CBSが放送技術、再放送の可能性についての権限を持ち、ロジャース&ハマースタインは作品の所有権およびキャスティング、演出、装置、衣装の権限を持つことになった。1956年9月5日、CBSはこの作品の製作発表を行なった。有名なメルヘン作品のミュージカル化について「ロジャース&ハマースタインはオリジナルのシャルル・ペロー版を忠実に再現する」とされた[3]。ハマースタインは『サタデー・レビュー』誌のインタビューで「視聴者の子供たちには自分たちの知っている話だと認識してほしい。当然その両親たちも観ることになるだろうが、皆がよく知る話の筋を変えることなく登場人物をより人間的に近付けている」[2]。6回のコマーシャルを含め90分間におさめねばならず、6場面に分けることになった。『タイム』誌のインタビューでハマースタインは「『シンデレラ』の脚本と作詞に7ヶ月かかった」と語った[2]

1957年2月21日、リハーサルが始まった。エミー賞監督ラルフ・ネルソンと、『ミルトン・バール・ショー』の振付師ジョナサン・ルーカスがこのミュージカルにたずさわった。ロジャースの友人ロバート・ラッセル・ベネットがオーケストラを率いた。CBSの重鎮アルフレッド・アントニーニが指揮者を務めた。3月上旬、CBS社屋がCBSテレビジョン・カラー・スタジオ72に移転し[4]ニューヨークでの最初のCBSカラー・スタジオとなり、当時局内で最小のカラー・スタジオとなった。出演者56名、演奏者33名、スタッフ80名が4台の巨大なカラー・カメラ、100着の衣装、5台以上の舞台背景、多数の小道具や特殊効果の道具などと共に小さなスタジオに集結した。オーケストラは音を拡大する装置と共に小さな部屋で演奏した。CBSはスポンサーと共に壮大なキャンペーンを行なった[2]エド・サリヴァンも自身の日曜夜の番組でこの作品のプロモーションを行ない、ロジャース&ハマースタインも『シンデレラ』放送直前の日曜に出演した[1]。1957年3月31日、『シンデレラ』が放送された。
あらすじ
第1幕

村の広場にて、使者が王子の21歳の誕生日の祝典として「王子が舞踏会を開催される」と告げる。王国の女性たちは彼に会えると喜ぶ。最愛の父を亡くしたシンデレラは短気で自己中心的な継母と義姉妹のため家事をしている。彼女は彼女たちの買い物袋を抱え、帰宅すると3名はシンデレラをこき使う。暖炉そばの片隅で、彼女は今のような使用人の生活ではなくプリンセスのような魅力的な生活を夢見る(In My Own Little Corner )。その頃、王と王妃は祝宴に向けて準備中で(Royal Dressing Room Scene )、使用人たちは祝宴の計画の会議をしている(Your Majesties )。王と王妃は王子にふさわしい花嫁が見つかることを望むが、王子は王国の熱心な女性たちと面会することを少し恐れている。王妃は王と王子が話しているのを耳にし、王妃は王子をいたわる(Boys and Girls Like You and Me [カットされることもあり、テレビ版のいくつかでは歌われていない])。

シンデレラの義姉妹は王子の目にとまるように舞踏会の準備万端で、シンデレラの夢をあざ笑う。彼女たちが出掛けると、シンデレラは一緒に出掛けることを想像する(In My Own Little Corner (リプライズ))。魔法使いが登場し、舞踏会に行きたいシンデレラの熱意により彼女はシンデレラを美しく成長した若い女性に、可愛がっていたねずみとかぼちゃを有能な召使いと光り輝く馬車に変身させ(Impossible; It's Possible )、彼女は舞踏会に向かう。
第2幕

11:30、シンデレラは城に到着すると、入る前に魔法使いは12時を過ぎないように注意する。王子は一緒に踊った義姉妹を含む若い女性たちからの注目に飽き飽きしている。シンデレラが入場すると、すぐに皆の注目を集め、王子の興味を惹く。シンデレラは王子と踊り、すぐに恋に落ちる(Ten Minutes Ago )。義姉妹は彼女が誰かわかっておらず、王子が小柄な美女といるのを見てなぜ彼は自分たちのような丈夫な「普通の」女性に興味を持たないのかと語る(Stepsisters' Lament )。王子とシンデレラは踊りながら自分たちだけの世界を作り、彼は彼女に愛を打ち明ける(Do I Love You Because You're Beautiful? )。キスを交わすが12時の鐘が鳴り、シンデレラは魔法が溶ける前に逃げ出し、急いでいたためにガラスの靴が脱げてしまう。
第3幕

翌朝、継母と義姉妹は舞踏会での出来事を思い返し、シンデレラも舞踏会に行き(When You're Driving Through the Moonlight )王子と踊ったことを思い出す(A Lovely Night )。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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