シンシナティ
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この項目では、アメリカ合衆国オハイオ州の都市について説明しています。その他の用法については「シンシナティ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

シンシナティ市
City of Cincinnati


市旗市章

愛称 : The Queen City
Cincy
標語 : "Juncta Juvant (ラテン語:団結は力なり)"
位置

上: ハミルトン郡におけるシンシナティの市域
下: オハイオ州におけるハミルトン郡の位置

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度6分6秒 西経84度30分45秒 / 北緯39.10167度 西経84.51250度 / 39.10167; -84.51250
歴史
市制1819年3月1日
行政
アメリカ合衆国
 州 オハイオ州
 郡ハミルトン郡
 市シンシナティ市
市長アフターブ・ピュアヴァル(英語版)
地理
面積 
  市域206.01 km2 (79.54 mi2)
    陸上  201.86 km2 (77.94 mi2)
    水面  4.14 km2 (1.60 mi2)
  都市圏10,798 km2 (4,169 mi2)
標高168 m (551 ft)
人口
人口(2020年現在)
  市域309,317人
    人口密度  1,532.3人/km2(3,968.7人/mi2)
  都市圏2,256,884人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒http://cincinnati-oh.gov/

シンシナティ(英語:Cincinnati)は、アメリカ合衆国オハイオ州南西端に位置する都市。州都コロンバスの南西約170km、ケンタッキー州との州境になっているオハイオ川の河畔に位置する。人口は309,317人(2020年国勢調査[1]で、コロンバス、クリーブランドに次ぐ州内で第3の都市である。シンシナティに郡庁を置くハミルトン郡を中心に、オハイオ・ケンタッキー・インディアナ3州の16郡にまたがる都市圏は2,256,884人、これに2つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,316,022人(いずれも2020年国勢調査)[2]の人口を抱えている。
概要

1788年に創設され、その2年後にシンシナティ協会から名を取ってシンシナティという地名がつけられた。19世紀前半から中盤にかけては、シンシナティは食肉加工の中心地・オハイオ川の河港都市として発展し、1850年には全米第6の都市へと成長した[3]。しかし、19世紀も後半に入り、交通の主役が蒸気船から鉄道へと移ると、その連節点として高い成長を遂げるようになったシカゴセントルイスに追い抜かれ、シンシナティは成長しながらも、その相対的な地位は低下した。その後も20世紀中盤までは緩やかではあるものの成長を続け、1950年には人口50万人を超えたが[4]、その後は減少に転じている。

それでもなおシンシナティは地域の経済・交通・教育・文化の中心地の1つであり続けている。シンシナティ都市圏にはクローガープロクター・アンド・ギャンブルをはじめ、フォーチュン500に入る企業が7社本社を置いている。空の玄関口であるシンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港は航空貨物のアマゾン・エアDHLアビエーションが拠点としている。陸路においても3本の州間高速道路が交わる。ダウンタウンの北にはシンシナティ大学およびザビエル大学がキャンパスを構えている。MLBシンシナティ・レッズ、およびNFLシンシナティ・ベンガルズは、ともにシンシナティのオハイオ河岸に本拠を置いている。全米でも最古の部類に入るシンシナティ交響楽団やシンシナティ・オペラが本拠地とする音楽堂や、シンシナティ出身のウィリアム・タフト大統領の異母兄の邸宅であったタフト美術館など、文化都市としての歴史の長さを示す文化施設も数多く立地している。
歴史

1788年にマシアス・デンマン、ロバート・パターソン、イスラエル・ルドローの3人の入植者によって、オハイオ川北岸のこの地に創設された。その後ジョン・フィルソンがデンマンから800エーカー(323ヘクタール)の入植地の3分の1を購入し、ロサンティビルと名付けた。1790年に北西部領土アーサー・セントクレア総督は、ジョージ・ワシントンが会長を務め、自身も所属していたシンシナティ協会の名を取って、シンシナティと改称した。 初期の移民にはドイツ系が多く、そのうちの1人で、セントクレアの後任としてこの地にあったワシントン砦に入城していたデイビット・ジーグラーが1802年にシンシナティの初代市長となった[5]。やがて1819年3月1日にシンシナティは市制を施行した。シンシナティ遠景(1841年)。手前はマイアミ・エリー運河、奥はオハイオ川。

初期のシンシナティは食肉加工で特に豚肉加工の中心地として発展し、ポークポリス(豚肉の都)と呼ばれた[6]。また、オハイオ川の河港であったシンシナティは19世紀前半から蒸気船が寄港する水上交通の拠点及び蒸気船製造の拠点として発展し[6]1825年に建設の始まったマイアミ・エリー運河がその成長を促した。マイアミ・エリー運河はオハイオ川の支流であるグレートマイアミ川を起点に北進し、1827年に北郊のミドルタウンまで開通し供用開始、その後1830年デイトンまで、そして1840年にはエリー湖岸のトレドまで延伸した。加えて陸上においても、1836年にリトル・マイアミ鉄道の建設が認可され.[7]1846年スプリングフィールドまで全通し、1849年にはスプリングフィールドまで開通したマッド・リバー・アンド・レイク・エリー鉄道と接続して、エリー湖のサンダスキー湾の湖港へとつながった。1853年にはリトル・マイアミ鉄道の途中駅ゼニアでコロンバス・アンド・ゼニア鉄道と接続して、州都コロンバスへと至る鉄道交通も確立された。商業も早い時期から発展し、街にはオハイオ川を下ってさらに西を目指す入植者の需要に応えるようにホテル・レストラン・酒場が建ち並び[6]1837年にはプロクター・アンド・ギャンブルが創立した。市のこうした急成長の最中、シンシナティの住民は市をクイーン・シティ(女王都市)と呼ぶようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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