「シンシナティ・レッズ」のその他の用法については「シンシナティ・レッズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
シンシナティ・レッズ
Cincinnati Reds
1881年創設
所属リーグ
ナショナルリーグ (1890年 - )
アメリカン・アソシエーション (1882年 - 1889年)
ナショナルリーグ (1890年 - )
西地区 (1969年 - 1993年)
中地区 (1994年 - )
チーム名
シンシナティ・レッズ (1959年 - )
シンシナティ・レッドストッキングス (1882年 - 1889年)
シンシナティ・レッズ (1890年 - 1953年)
シンシナティ・レッドレッグス (1954年 - 1958年)
シンシナティ・レッズ (1959年 - )
本拠地
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}1881-現在
オハイオ州シンシナティ (1881年 - )
グレート・アメリカン・ボール・パーク (2003年 - )
リバーフロント・スタジアム (1970年 - 2002年)
クロスリー・フィールド (1912年 - 1970年)
パレス・オブ・ザ・ファンズ (1902年 - 1911年)
リーグ・パーク (1884年 - 1901年)
バンク・ストリート・グラウンズ (1882年 - 1883年)
永久欠番
1
5
8
10
11
13
14
18
20
24
42
獲得タイトル(獲得年)
ワールドシリーズ優勝(5回)
1919
1940
1975
1976
1990
リーグ優勝(9回)
1919
1939
1940
1961
1970
1972
1975
1976
1990
地区優勝(10回)
1970
1972
1973
1975
1976
1979
1990
1995
2010
2012
ワイルドカード(2回)
2013
2020
球団組織
オーナーボブ・カステリーニ
シンシナティ・レッズ(英語: Cincinnati Reds、略称: CIN、レ軍)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ中地区所属のプロ野球チーム。本拠地はオハイオ州シンシナティにあるグレート・アメリカン・ボール・パーク。
概要シーズン成績の詳細については年度別成績一覧を参照
19世紀から存在する古参球団。創設後しばらくは優勝と縁がなく、1919年のワールドシリーズで八百長が発覚するシカゴ・ホワイトソックスを破って、初の世界一に輝いた。その後、再び長低迷期に入ったものの、1940年に2度目のワールドシリーズ制覇を果たす。
チームの黄金期は1970年代。名将スパーキー・アンダーソンの下、ジョニー・ベンチ、ジョー・モーガン、ピート・ローズらが活躍、「ビッグレッドマシン(The Big Red Machine)」のニックネームで全米に旋風を巻き起こした。1970年代には1975年、1976年とワールドシリーズ2連覇、リーグ優勝4回、地区優勝6回を誇った。
1978年には日米野球で訪日した。
1984年にはローズが選手兼任監督に就任するが、1989年に自身の野球賭博が発覚し、永久追放処分を受ける。その後1990年にはルー・ピネラ監督の下、ノーム・チャールトン、ロブ・ディブル、ランディ・マイヤーズら「ナスティ・ボーイズ(Nasty Boys[注 1])」の活躍で5度目のワールドチャンピオンに輝いた。
2000年にはケン・グリフィー・ジュニアがレッズに移籍。父親であるケン・グリフィー・シニアもレッズの一員として黄金時代を支えた選手であり、若くしてスーパースターとしての地位を確立していたジュニアの来訪に地元は歓迎一色に包まれた。しかしこの頃からチームも低迷、鳴り物入りで加入したはずのジュニア自身も移籍後は故障がちになり期待通りの活躍を見せることができず、2001年から2009年まで9年連続で負け越しのシーズンが続いていた。
球団の歴史
球団発足?初の世界一リーグ・パーク