シンザン
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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。

シンザン
1994年8月 谷川牧場にて
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色鹿毛[1]
生誕1961年4月2日[1]
死没1996年7月13日
  (35歳没・旧36歳)
ヒンドスタン[1]
母ハヤノボリ[1]
母の父ハヤタケ[1]
生国 日本北海道浦河町[1]
生産者松橋吉松[1]
馬主橋元幸吉[1]
調教師武田文吾京都
厩務員中尾謙太郎
競走成績
タイトル啓衆社賞年度代表馬[1](1964,1965年)
最優秀4歳牡馬[1](1964年)
最優秀5歳以上牡馬[1](1965年)
顕彰馬(1984年選出)
生涯成績19戦15勝[1]
獲得賞金5438万0000円[1]

勝ち鞍

八大競走皐月賞1964年
八大競走東京優駿1964年
八大競走菊花賞1964年
八大競走天皇賞(秋)1965年
八大競走有馬記念1965年
オープンスプリングS1964年
オープン宝塚記念1965年
オープン目黒記念(秋)1965年


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シンザン(欧字名:Shinzan、1961年4月2日 - 1996年7月13日)は、日本競走馬種牡馬[1]

史上2頭目、戦後初のクラシック三冠馬1964年1965年啓衆社賞年度代表馬1984年顕彰馬に選出された。八大競走の勝利数から、日本競馬史上初めて「五冠馬」の称号を与えられた競走馬であり、戦後日本の競馬界に長く影響を与え続けた功績の大きさから「神馬」とも呼ばれている。その走りは「の切れ味」と形容された。
概要

戦後期の日本競馬を代表する競走馬で、1964年日本クラシック三冠馬である。この三冠に加えて、翌1965年にも天皇賞(秋)および有馬記念で優勝したため、日本の競馬史上初めて「五冠馬」の称号を与えられた。

デビュー時はあまり期待されていなかったが次第に頭角を現し、クラシック三冠(皐月賞東京優駿菊花賞)、宝塚記念、天皇賞(秋)、有馬記念といった当時牡馬が獲得可能なGI級競走をすべて制した。デビュー戦から引退レースまでの連続連対数19は、中央競馬におけるレコードである[注 1]。この後、シンザンは「シンザンを超えろ」のキャッチフレーズと共に、後述のシンボリルドルフが現れる1984年までの約20年間にわたって、絶えず日本の競馬界全体の目標であり続けた。このように戦後日本の競馬界に長く影響を与え続けた功績の大きさから、シンザンは現在でも「神馬」と呼ばれることがある。

競走馬引退後は種牡馬となり、ミホシンザンミナガワマンナをはじめ、優秀な産駒を輩出。その活躍は当時冷遇されていた内国産馬に種牡馬の道を切り開いたとされる。

種牡馬引退後も1995年サラブレッドの最長寿記録、1996年には軽種馬の最長寿記録を更新するなど最期まで注目を集めた。
生涯
幼駒時代

1961年4月2日北海道浦河町の松橋吉松牧場で誕生[2]。血統名を「松風」と名付けられた[3]。生後2か月のとき、調教師武田文吾荻伏牧場の経営者である斎藤卯助の紹介により、松橋牧場を訪ね、松風と対面した[3]。武田は、松風に豊かな骨量と[4]、母母父のトウルヌソルの特徴を有していると判断した[3]。3代母[注 2]のバッカナムビューチーは武田が騎手時代に騎乗した経験があり、「オンワード」の冠名を用いる樫山純三も松風の購入を希望していたことから、武田はその場で購入を決意[3]。松橋牧場は、松風に350万円の値をつけたが、交渉の末320万円での購入が約束された[3][注 3]。それから数か月後、武田の紹介により名古屋で運送会社を経営していた橋元幸吉が牧場を訪れて松風に一目ぼれし、橋元が所有することが決まった[3]

橋元から松風の名付けを依頼された武田は、孫の栗田伸一[注 4]の一字を取り「伸山」を由来とする「シンザン」と命名した[5]

武田が、小規模な松橋牧場で育つことを嫌い[6]、離乳[注 5]した1961年秋に荻伏牧場に移動して育成された[3]


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