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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。
シンコウウインディ
欧字表記Shinko Windy[1]
品種サラブレッド[1]
性別牡[1]
毛色栗毛[1]
生誕1993年4月14日(30歳)[1]
登録日1995年11月16日
抹消日1999年10月20日
父デュラブ[1]
母ローズコマンダー[1]
母の父ダストコマンダー[1]
生国 日本(北海道浦河町)[1]
生産者酒井源市[1]
馬主安田修[1]
調教師田中清隆(美浦)[1]
競走成績
生涯成績17戦5勝
中央競馬:13戦5勝
地方競馬:4戦0勝[1]
獲得賞金2億2744万6000円
勝ち鞍
GIフェブラリーS1997年
GIIIユニコーンS1996年
GIII平安S1997年
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シンコウウインディ(欧字名:Shinko Windy、1993年4月14日 - )は日本の競走馬、種牡馬[1]。
1997年のフェブラリーステークス(GI)優勝馬である。その他の勝ち鞍に1996年のユニコーンステークス(GIII)、1997年の平安ステークス(GIII)。主戦騎手は岡部幸雄。 1993年4月14日、ローズコマンダーの12頭目の産駒として誕生。父は新種牡馬のデュラブ。配合については「たまたまデュラブのシンジケートの会員だったから」とのことで深い意図はなかったという[要出典]。生まれたころから脚長の好馬体だったが、いたずら好きでよく人に噛みつくという気性だった。 牧場で大過なく成長したあと、1994年6月に2歳馬のセリ市に出される。丈夫そうな馬体が評価され、調教師の田中清隆の勧めを受けた安田修によって890万円で落札された。 馬名もシンコウウインディと決まり、ノーザンファームに育成に出されることとなった。ここでじっくり乗り込まれたあと、3歳の11月に田中厩舎に入厩。調教でもまずまずの動きを見せ、中堅クラスにはなれると見込まれていた。 1996年1月、中山競馬場のダート1800メートルの新馬戦でデビュー。岡部幸雄を背に先行抜け出しの競馬で快勝した。このあとは芝のレースを3戦使われるも勝ちきれないレースが続く。その次に出走した中山のダートの500万下特別戦を初戦と同じく岡部騎乗で快勝した。ダート適性に確信がついたことから以降はダート戦のみ使われることとなる。 夏は休養に充て、秋初戦となったのは900万下条件戦の館山特別。道中は中団から進み、直線で抜け出したものの、内のダイワオーシャンを噛みつきに行き失速。同馬にクビ差の2着に敗れた。他馬を噛みつきに行って敗れるというのはまさに珍事で、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}シンコウウインディの名は一躍全国区となり、多数のファンを獲得した[要出典]。 次走は、当時の4歳ダート三冠路線の1戦目と位置づけられたユニコーンステークス。2戦目以降につなげるためにも、2着以内に入って賞金を積み重ねることを狙いとしていた。レースはバトルラインから大きく離された2位に入線という結果だったが、同馬の降着により繰り上がりで重賞初制覇を達成した。しかし、二冠を狙った大井のスーパーダートダービーは、逃げるサンライフテイオー 明けて1997年の初戦は、京都競馬場に遠征しての平安ステークス。鞍上は四位洋文に乗り替わっていた。このレースからブリンカーを着用したことで、レースにも集中できるようになった。スタートで少し出遅れたが、直線で外から猛然と追い込み、内で粘るトーヨーシアトルと並んでゴール。結果は1着同着だったものの、体質や気性面に進境を見せ、この年からGIに昇格したフェブラリーステークスに臨んだ。単勝1番人気から4番人気までを同世代の5歳馬が占めるなか、シンコウウインディは6番人気という評価。馬場状態は不良で、泥田のような馬場だった。レースは、中団外めで折り合いを付け、第4コーナーで間隙をついて最内に入ると、粘る1番人気のストーンステッパーとの長い叩き合いとなった。
生い立ち
戦績
4歳
5歳