シルミウム
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スレムスカ・ミトロヴィツァ市ビジターズセンターにあるローマ時代のシルミウム模型シルミウムの遺跡宮殿の遺跡シルミウムの位置西暦180年ごろのローマにおける主要貿易路とシルミウムの位置シルミウム(羅: Sirmium)は、ローマ帝国パンノニア地方にあった古代都市である。現在のセルビア共和国西部、スレム郡の郡都スレムスカ・ミトロヴィツァに当たる。
紀元前1世紀にイリュリア人の街をローマ人が征服したものを起源とするが、後に発展し、パンノニア属州の経済的中心地となり、さらに古代末期にはローマ帝国の四つの地域のうち一つの地域の首都となった。
紀元後1世紀にローマ植民市に昇格し、103年にパンノニアが上パンノニアと下パンノニアに分割されると、下パンノニアの首都となった。296年、ディオクレティアヌス帝がパンノニアの再編成を行い、旧来の2属州を4属州に改めるに伴い、パンノニア・セクンダの首都となった。
293年のテトラルキア開始にともない、帝国の行政区画が4つに分割されると、アウグスタ・トレヴェロールム(トリーア)、メディオラヌム(ミラノ)、ニコメディア(イズミット)と並び、シルミウムは4つの地域のうち一つの地域の首都となった。テトラルキアの間、シルミウムはガレリウスの首都であった。また、318年から379年まで、イリュリクム地域の首都となった。379年に、イリュリクムは2つに分割され、シルミウムはイタリア地域に帰属させられた。
4世紀以降、シルミウムはキリスト教の活動にとって重要な場所となった。シルミウムには主教座(司教座)がおかれ、5つの教会会議が開催された。またシルミウムには皇帝の宮殿が置かれ、街は繁華を極めた。
4世紀末に、シルミウムはゴート族にいったん占領され、そののちふたたび東ローマ帝国に帰した。441年に、フン族に占領され、そのあといくつかの蛮族によって支配された。567年、再度東ローマ帝国に編入されたが、582年アヴァール人に占拠され、破壊された。
シルミウム出身のローマ皇帝シルミウム生まれのローマ皇帝は6名いる。
デキウス(249年 - 251年)
アウレリアヌス(270年 - 275年)
プロブス(276年 - 282年)
マクシミアヌス(285年 - 310年)
コンスタンティウス2世(337年 - 361年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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