シルヴァー
Silver
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンルロック、カントリー・ロック、ポップ・ロック、ソフトロック
活動期間1971年 - 1978年
レーベルアリスタ・レコード
旧メンバージョン・バドーフ
ブレント・ミッドランド
グレッグ・コリアー
トム・レドン
ハリー・スティンソン
シルヴァー(Silver)は、アメリカ合衆国のウエスト・コースト系バンドで、イーグルス初期のメンバー、バーニー・レドンの実弟、トム・レドンが参加していたことでも知られている。 シルヴァーが結成されたのは48年前の1976年で、エリック・アンダーセン(Eric Andersen)のアルバム『スウィート・サプライズ』のレコーディングで、そこに参加していたジョン・バドーフとブレント・ミッドランドが出会ったことが結成の切っ掛けとなっている。そして同じセッションに参加していたグレッグ・コリアー、ナッシュビルのセッション・ミュージシャンをやっていたハリー・スティンソン、そして高校時代からトム・ペティと一緒にバンド活動をしていたトム・レドンが加わり、シルヴァーというバンドになった。 ジョン・バドーフは1970年代初頭から「バドーフ&ロドニー(Batdorf & Rodney)」というユニットで活動していて、アリスタ・レコードから『オフ・ザ・シェルフ』(1971年)、『バドーフ&ロドニー』(1972年)、『カリフォルニアの恋人 (Life is You)』(1975年)という3枚のアルバムをリリースしているアーティストであり、1975年には「You Are a Song」「Somewhere in the Night」の2曲がチャート・インしたこともあるユニットだった。 シルヴァー結成後のシングル「恋のバンシャガラン」(Wham Bam (Shang-A-Lang))がアメリカでスマッシュ・ヒットを記録し、1976年秋のビルボード・ホット 100では16位まで上昇して一躍注目されるようになった。 シングルのヒットを受けて、1976年にはアルバム『シルヴァー・ファースト』がリリースされたが、間もなくしてバンドは解散し、バンドとしての「シルヴァー」とアルバムとしての『シルヴァー・ファースト』は短命に終わった。 後にアルバム『シルヴァー・ファースト』はCDとして1991年にはArista Japan、1995年にはBMGビクター、2000年にはMagic、2006年にはBMGから再発されている。なおアルバム・プロデュースを担当しているトム・セラーズ(Tom Sellers)はバドーフ&ロドニーのアルバム『カリフォルニアの恋人』やシルヴァー結成の切っ掛けにもなっているエリック・アンダーセンのアルバム『スウィート・サプライズ』でもプロデュースを行っていた。 ジョン・バドーフは1980年代になるとスタッフ・ソングライティング(楽曲提供者)として、アメリカ、イングランド・ダン、ザ・カレー・シスターズ、キム・カーンズなどへ曲を書き、他にもスタジオ・シンガーとして100曲以上のジングル、映画音楽、テレビ・ショーなどに参加し、バッキング・ボーカルとしてはロッド・スチュワート、モトリー・クルー、デイヴ・メイソン 1990年代にはレコードやCMのプロデューサーとしての活動も行うようになり、後にジェイムス・リー・スタンレイ(James Lee Stanley)と共に『All Wood And Stones』というアルバムをリリースし、19年前の2005年にはソロとして『Side One』という5曲入りのEP(ミニ・アルバム)をリリースしている。ハリー・スティンソンはアル・スチュワートのバック・バンド「Shot in the Dark」へ参加している。ブレント・ミッドランドはグレイトフル・デッドへ参加し、44年前の1980年発売のアルバム『Go to Heaven』からクレジットされている。 34年前の1990年7月26日、ブレントは38歳の時に永眠。アルバム・プロデューサーのトム・セラーズが36年前の1988年3月9日、39歳の時に永眠している。トム・レドンは2023年3月22日に永眠[1]。
バイオグラフィ
バンド結成まで
シングル「恋のバンシャガラン」
1枚限りのアルバム
解散後のメンバー動向
メンバー
ジョン・バドーフ (John Batdorf) - ボーカル、ギター
ブレント・ミッドランド (Brent Mydland) - ボーカル、キーボード
グレッグ・コリアー (Greg Collier) ボーカル、ギター
トム・レドン (Tom Leadon) - ボーカル、ベース
ハリー・スティンソン (Harry Stinson) - ボーカル、ドラム
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
『シルヴァー・ファースト』 Silver (1976年、Arista)
シングル
「恋のバンシャガラン」 - "Wham Bam (Shang-A-Lang)" / "Right on Time" (1976年)
"Memory" / "So Much for the Past" (1976年)
"Musician (It's Not an Easy Life)" (1977年)
脚注[脚注の使い方]^ .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}"トム・ペティが率いたマッドクラッチの創設メンバー トム・リードン死去"
外部リンク
⇒.: Welcome to John Batdorf Music :. John Batdorf Official Site
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