シルクロード_(世界遺産)
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シルクロード。実際に世界遺産リストに登録されているのは、まだごく一部である。

この記事では、世界遺産としてのシルクロードについて扱う。

ユーラシア大陸の東西交流史において重要な役割を果たしたシルクロードは、その歴史的意義からUNESCO世界遺産リストへの登録が目指されている。第一号として中華人民共和国(中国)、カザフスタンキルギスの関連遺跡など計33件が2014年に「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の名で登録され、第二号としてタジキスタンウズベキスタントルクメニスタンの関連遺跡など計34件が「シルクロード:ザラフシャン=カラクム回廊」の名で登録された。
登録経緯「シルクロード」も参照フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン

シルクロードという名称は、ドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンがその著書『中国』第1巻(1877年)で、東西交流におけるの重要性を指摘するとともに、中国からインドへと至る中央アジアの交易路を「絹の道」(ドイツ語で「ザイデンシュトラーセン」)と命名したことによって誕生した[1]。この概念を拡張したのがアルベルト・ヘルマン(英語版)で、著書『中国とシリア間の古代シルクロード』(1910年)はその題名が示すように、「絹の道」をシリアへと拡張するものであった[2]。その後も調査・研究の進展に伴い概念が拡張され、現在では北緯50度線付近のステップを横断する「ステップ路」、北緯40度線付近のオアシス群を辿る「オアシス路」、更には南方の海を利用する「南海路」の3つに大別されるようになっている[3]

こうしたシルクロード群について、1988年にUNESCOは「UNESCOシルクロード総合研究」というシンポジウムのシリーズを開始した[4]。これはユーラシア大陸を横断した文化的伝播についての理解と文化財保護を促進するためのものであった[5]西安市の街並み

2002年11月17日から20日には西安市で「UNESCO国際学術シンポジウム」が開催された。この席上、UNESCOとともに主催者として名を連ねていた平山郁夫は、中国当局とともに、長安(現・西安)からローマに至るシルクロード全区間の世界遺産登録の構想を示した[6]。この構想は、シンポジウムで採択された西安宣言とともに、UNESCO事務局長松浦晃一郎国際連合事務総長コフィー・アナンに提出された提案書に盛り込まれた[7]

2006年8月に、UNESCOと中国の国家文物局(中国語版)は、新疆ウイグル自治区トルファン市で開催された会議(トルファン会議)を共同で後援した。この会議では、シルクロード関連遺産の世界遺産リスト登録への申請の協力関係について話し合われた[5]。この会議において、中国と中央アジア5か国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)は、2010年の共同推薦に向けて合意した[5]。さらに、同年10月のサマルカンド会議でコンセプトペーパーの作成準備が提案され、翌年4月のドゥシャンベ会議で最初のコンセプトペーパーが採択された[4]。このコンセプトペーパーは西安よりも西の地域を対象としていたが、シルクロードは日本などへの文化的伝播も視野に入りうる。そこで、山内和也、前田耕作ら日本の専門家がコンセプトペーパーの修正を提言し、同年10月の西安会議以降、日本も正式に参加していくこととなった。

2008年2月5日にはイランがホラーサーン地方のシルクロード関連遺産を世界遺産の暫定リストに記載し[8]、翌月の28日には中国が48件の関連遺産を暫定リストに記載し、登録に向けた動きが具体化した。

2009年には「連続性のある文化遺産としてのシルクロード」第1回調整委員会が西安市にて開催された[4]。これに続き、2010年には1月20日にインドが12件の構成資産を暫定リストに記載し[9]、2月19日にはキルギスが6件の構成資産を、ウズベキスタンが18件の構成資産をそれぞれ暫定リストに記載し[10][11]、3月1日にはトルクメニスタンがシルクロードの11区間の29遺跡を暫定リストに記載した[12]

2011年の第2回調整委員会(アシガバード)では、前出の中国と中央アジア5か国に加え、アフガニスタンネパールインドイラン大韓民国、日本が参加したが[13]、この席では最優先すべき推薦は中国と中央アジア5か国によることが確認された[4]

2011年末にUNESCOは、その広大さを理由に、登録申請を「回廊」(corridors) [注釈 1] ごとに分割してはどうかと提案した[5]。 同年12月に中国、カザフスタン、キルギスは、中原から天山山脈を横断する回廊を共同推薦することに合意した。こうした実際の推薦に向けた動きの中、シルクロードの世界遺産登録と中央アジアへの経済的影響力の強化を結びつける中国は、推薦準備に遅れが見られたウズベキスタンとタジキスタンを排除したとされる[14]。そのタジキスタンとウズベキスタンは別の回廊での推薦準備を行うこととなった[5]

2012年3月5日にはカザフスタンが暫定リストへの記載を行い、2013年1月に中国、カザフスタン、キルギスは長安-天山回廊を正式に推薦した。同じ月にタジキスタンとウズベキスタンもパンジケント-サマルカンド-ポイケント(英語版)回廊の正式推薦に漕ぎつけた。それらは翌年の6月に開催された第38回世界遺産委員会で審議され、前者は正式登録を果たしたが、後者の登録は見送られた[4]。正式登録を果たしたカザフスタンの代表は、その世界遺産委員会審議の場で、資金援助や人材育成に尽力してきた日本の名を挙げ、その協力への感謝を表明した[15]

長安-天山回廊に関する世界遺産委員会の決議では、いくつかの付帯条項が添えられ、保護・管理面の強化のほか、さらなる拡大登録の努力とそのためのシルクロード研究の深化などが挙げられた[16]。実際、日本の専門家からは、中央アジア諸国の拡大登録の支援とともに、日本の文化財の拡大登録を目指すべきという声も聞かれた[4]

タジキスタン、ウズベキスタンの関連遺跡は、トルクメニスタンも加えた3国で、シルクロード:ザラフシャン=カラクム回廊として、2023年の第45回世界遺産委員会にて正式登録を果たした。

以下では、第一号として登録された長安-天山回廊と、今後登録を目指している暫定リスト記載物件群について個別に説明する。
シルクロード:長安-天山回廊の交易路網


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