ションバーグ黒人文化研究センター
Schomburg Center for Research in Black Culture
(2009)
施設情報
正式名称Schomburg Center for Research in Black Culture
愛称ションバーグセンター
前身1905年 135丁目分館
(1925年 黒人文学、歴史及び出版物部門)
専門分野黒人文化、歴史
事業主体ニューヨーク公共図書館
建物設計w:Charles Follen McKim
ションバーグ黒人文化研究センター(ションバーグこくじんぶんかセンター、英: Schomburg Center for Research in Black Culture)はニューヨーク公共図書館の研究図書館のひとつで、世界中のアフリカ系の人々に関する情報の保存機関である。ニューヨーク市マンハッタンに近いハーレムに位置し、レノックス通り(マルコムX通り)515丁目、135丁目通りと136丁目通りの間にある。センターは設立当初からハーレムのコミュニティーに欠かせない存在だった。このセンターはアフリカ系プエルトリコ人の学者アーサー・アルフォンソ・ションバーグに因んで名づけられた。
センターの資料はアートと工芸部門、ジーン・ブラックウェル・ハトソン総合研究調査部門、原稿及びアーカイブと貴重書部門、動画と録音資料部門、写真と印刷物部門の5つの部門に分かれている。
センターでは研究サービスに加え、読書会、ディスカッション、アートエキシビジョン、演劇イベントなどを開催している。センターは一般に公開されている。
1901年、アンドリュー・カーネギーなニューヨーク市に65の図書館分館を建設するため5,200,000ドルを寄付することに概ね同意した。市が土地を提供し、建物が完成したら市が建物を管理するという条件だった[2]。1901年の後半、カーネギーはニューヨーク市と契約を結び、図書館を建設するための土地を購入できるよう、市に寄付をした[3] 。マッキム・ミード&ホワイトが建築家として選ばれ、チャールズ・フォレン・マッキムは西135通り103番地にイタリア・ルネッサンスのパラッツォ様式の図書館を設計した[4]。1905年7月14日の開館当時、図書館には10,000冊の図書があり[5]、担当司書はガートルード・コーエンだった[6]。
初期の歴史
135丁目分館
ローズの在職期間 (1920?1942)World War II-era WPA
1920年、アーネスティン・ローズ(1880年にニューヨーク州ブリッジハンプトン生まれの白人女性)が分館の司書になった[7]。 彼女はすぐにすべての白人の図書館員を統合した[8] 。ニューヨーク公共図書館に初めて雇用されたアフリカ系アメリカ人のキャスリーン・アレン・ラティマ―は、数か月後、ロベルタ・ボスリー と同じようにローズと共に働くために送り込まれた[9]。しばらくして、サディ・ピーターソン・デラニー が雇われた[10]。同時に、彼らは図書館の利用者の生活と読書を結び付けるよう支援する計画を作り、学校やコミュニティー内の社会組織と協力した[11] 。
1921年、図書館はハーレムでアフリカ系アメリカ人の芸術の初めての展覧会を行った。