ショパン国際ピアノコンクール
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ショパン国際ピアノ・コンクール

会場ワルシャワ・フィルハーモニー(英語版)
ポーランド
主催フレデリック・ショパン研究所
初回1927年 (97年前) (1927)
公式サイトhttps://konkursy.nifc.pl/pl
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ショパン国際ピアノ・コンクール(ショパンこくさいピアノ・コンクール、英語: International Chopin Piano Competition、ポーランド語: Mi?dzynarodowy Konkurs Pianistyczny im. Fryderyka Chopina)は、フレデリック・ショパン研究所ポーランドワルシャワで開催する国際音楽コンクール。国際音楽コンクール世界連盟メンバー。日本語表記による正式名称はフレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール[1][2]
概要

第一次世界大戦の終結を経てポーランドが一国家として独立してから9年後にあたる1927年に第1回大会を開催。現存する国際音楽ピアノコンクールの中では世界最古とされており、現在はポーランド国立のフレデリック・ショパン研究所がコンクールを主催している[3][4]

ベルギーエリザベート王妃国際音楽コンクールフランスロン=ティボー国際コンクール等と共に、1957年に発足した国際音楽コンクール世界連盟(ユネスコ国際音楽評議会メンバー)の設立メンバーの一員となっている。

ポーランド生まれの作曲家兼ピアニストで「ピアノの詩人」の異名でも知られるフレデリック・ショパンの解釈者を発掘することを開催理念として掲げており、また大会名に”ピアノコンクール”の文言が入っていることもあってか、コンクール自体はピアノ部門のみの開催で、且つ課題曲は全てショパン作品で占めていることが特徴[5][6]

スポンサーの多額の資金力に寄るため、音楽コンクールの最高峰と目されている。NHKはロシアチャイコフスキー国際コンクールベルギーエリザベート王妃国際音楽コンクールと共に「世界三大コンクール」と称している[7]。19世紀の作曲家だけで審査するコンクールはこれだけである。
コンクール略歴ワルシャワのショパン像

ワルシャワ音楽院のイェジ・ジュラヴレフ教授は、第一次世界大戦で荒廃した人々の心を癒し、当時フランス音楽と考えられていたショパンの音楽をポーランドに取り戻して愛国心を鼓舞しようと考え、コンクールの創設を思い立った。1927年に第1回大会を開催。第二次世界大戦中に中断があったが、その後5年おきに開催されている。第1回大会から第7回大会までは、ショパンの生誕日前後である2月から3月にかけて開催されていたが、第8回大会以降はショパンの命日である10月17日の前後3週間開催に変更された。旧東欧(現在の中東欧)で開催される国際コンクールが、21世紀を迎えても続いている稀な例である[注 1]

共産主義ポーランド人民共和国時代、1955年の第5回コンクールまでの優勝者は、ポーランドソ連の出身者によって占められていた。しかし1960年の第6回コンクールで西側諸国出身者1名、イタリア人のマウリツィオ・ポリーニが優勝し、西側諸国出身者の優勝者が出るようになったのはこれ以降の事である。

1975年に本選進出者の数をへらす方針がとられたため、当時の欧州を覆う経済難とスポンサー不足が影響したことがわかる。2005年から再び本選進出者は10人以上に改められた。

1990年の第12回と1995年の第13回では2回続いて第1位優勝者が輩出されないという状況となったが、2000年の第14回に優勝者が15年ぶりに選出された(中国ユンディ・リ)。

2005年の第15回コンクール以降はインターネットで映像がリアルタイム配信されている。

2020年に開催予定だった第18回は、新型コロナウイルスの影響で翌2021年10月に延期された[8]
ルール

課題曲は、すべてショパンの作品となっている。コンクール出場資格は16歳以上30歳以下の年齢制限がある。これも2005年に27歳以下であった制限が、2010年に緩和されて今に至る。

より好ましい審査のために、毎回根本的な見直しが図られている[9]。例えば、かつて24の前奏曲は抜粋演奏にならざるを得なかったが、この頃はこれを全曲通奏できるように変わってきた。

第一次にノクターン、第二次にワルツ、第三次にマズルカを課すルールを2005年にやめたことがあり、猛批判を受けて2010年に戻した。ソナタと変奏曲は、出場者の人気が高くとも選択になっている。

近年の審査は下記の段階を踏まれる。1と2は募集締め切り後の早期に終えられ、通過した者だけが準備を進めることとなり、3?6は開催期間中に実施される。

現在はあまりにも多すぎる出場者を捌くために、有名国際音楽コンクール上位入賞者は予備予選の免除がなされる[10]。しかし、あくまでも「有名」であって、国際音楽コンクール世界連盟に登録しているすべてのコンクールが対象ではない。
予備審査 - 書類及び音源提出(国際的に著名な教授かプロ・ピアニストの推薦状、師事歴、学歴、国際コンクール歴、DVD)

予備予選 - 現地演奏(開催期間前、30分程度、一次予選以降の演奏予定曲と重複しても良い)

一次予選 - (20?25分程度)

二次予選 - (30?40分程度)

三次予選 - (準本選、45?55分程度)

本選 - ピアノ協奏曲第一番あるいは第二番

使用ピアノ

1927年第1回からスタインウェイが公式ピアノとして舞台で使用されており、コンクールの中で最も永い歴史を共にしている。最初期の開催回では、スタインウェイの他にベヒシュタインベーゼンドルファープレイエルの3メーカーのピアノも公式ピアノとして採用されていた[11]。しかし現在、後者の3つのピアノ・メーカーは公式ピアノとしてコンクールの舞台で使用されていない。

1985年第11回から日本楽器製造(現・ヤマハ)と河合楽器製作所(カワイ)が初めて登場し、スタインウェイ、ヤマハ、河合楽器の3メーカーが公式ピアノとして定着した。2010年第16回からファツィオリが公式ピアノに加わり、それから最新の2021年第18回までスタインウェイ、ヤマハ、カワイ、ファツィオリの4メーカーが公式ピアノとして定着している。

過去には、世界的な情勢などによって公式ピアノの数が異なった開催回がある。最も少なかったのは1965年第7回で、3台のスタインウェイだけが使用された。最も多かったのは1990年第12回で、スタインウェイ、ヤマハ、カワイから計7台が公式ピアノとして用意された。
現在の公式ピアノ

ハンブルクスタインウェイD-274[12] - 1927年第1回から最新の2021年第18回まで公式ピアノとして継続して採用。「スタインウェイD-274#アーティストの優先傾向 ? 地理的起源と個別の楽器」も参照


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