ショット_(戦車)
[Wikipedia|▼Menu]

ショット
???‎ (Sho't)

性能諸元
全長7.60m
全幅3.39m
全高3.01m
重量53.5t
懸架方式ホルストマン方式
速度43km/h
行動距離450km
主砲L7 105mm戦車砲
副武装共通:7.62mm M1919機関銃×1(同軸
前期:12.7mm M2重機関銃×1(対空)
後期:12.7mm M2重機関銃×1(同軸)、7.62mm MAG機関銃×2(対人)、60mm迫撃砲×1
装甲砲塔
前面:152mm 側面:65mm
後面:50mm 上面:25mm
車体
前面:76mm + 50.8mm
側面前部:51mm
側面後部上:36mm
側面後部下:20mm
車体上面:25mm
底面:17mm
装甲スカート:5mm
エンジンコンチネンタル AVDS-1790-2AC
V型12気筒ツインターボ
空冷ディーゼル
750HP
乗員4名
テンプレートを表示

ショット(ヘブライ語: ???‎ (Sho't))とは、イスラエルが改造したイギリスセンチュリオンに対してつけられる戦車の名称である。中東砂漠地帯における円滑な運用と戦闘能力の強化を目的に大幅な改修が行われている。

「ショット」は、ヘブライ語で「」「天罰」を意味するが、直接の由来は「ナホム書」の次の一節に由来する。むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び走る戦車。
???? ???? ?????? ?????? ?????? ?????? ?????? ???????????? ?????????‎ ? 「ナホム書」第3章第2節[1]、(ヘブライ語はhe:????????#??? ?????による)

イスラエルの初代首相に因んで「ベングリオン」と呼ばれることがあるが、これは、西側メディアが付けた呼び方であり、IDF内部では「ショット」が正式な呼称である。


目次

1 センチュリオン導入まで

2 ショットの戦歴

2.1 期待と失望

2.2 改修と実戦

2.3 第二次改修

2.4 第四次中東戦争

2.5 引退と再生


3 バリエーション

4 派生型

5 登場作品

5.1 映画


6 参考文献

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

センチュリオン導入まで

建国直後のイスラエル国防軍(IDF)は、第二次世界大戦の終結に伴い西側諸国で余剰化したM4 シャーマンスクラップを収集再生して戦力としており、その後もフランス製のAMX-13軽戦車を直接導入したり、主砲をAMX-13用の61口径CN-75-50 75mm高初速砲/AMX-30用のCN-105-F1 105mm戦車砲短砲身化したものにそれぞれ換装したM50/M51 スーパーシャーマンなどを製造することで逐次機甲戦力の近代化を図って第一次中東戦争第二次中東戦争を戦っていた。しかし、M4 シャーマンの火力強化はもはや限界に達した上に、装甲防御力は第二次大戦の頃からその不足を指摘されていたが重量上の問題から増加装甲の装着もままならず、人的資源の量において圧倒的にアラブ諸国に劣るイスラエルにとっては望ましい状態ではなかった。

周辺のアラブ諸国は、シリアエジプトT-54中戦車T-55中戦車、IS-3重戦車ヨルダンM47パットン/M48パットン/センチュリオン中戦車のようにソ連アメリカなどから次々に新型戦車を導入しており、いずれM4 シャーマンの改修戦車程度では対抗しえなくなるのは目に見えていた。そこで、イスラエル国防軍はアメリカからM48A1/A2を導入すると共に、1963年イギリスとの間に新型主力戦車チーフテンの開発に協力しそれを元にした新型戦車を購入する契約を交わす代償として、イギリス陸軍で余剰化したセンチュリオンを導入し、その後もイギリスやオランダなどの欧州各国からチーフテンやレオパルト1などへの更新で余剰化した中古センチュリオンを大量導入、最終的に保有数は1,000両以上に達した。
ショットの戦歴
期待と失望

イスラエルが初めて導入した戦後第一世代戦車として大いに期待したセンチュリオンであったが、ゴラン高原におけるシリアとの小競り合いで実戦に投入してみると、欧州での作戦行動を前提に設計されたセンチュリオンは、中東での運用に各種の致命的な欠陥があることが判明した。

主砲20ポンド砲は、遠距離では急速に散布界が広くなり命中精度が著しく低下したため、欧州に比べて視界の開けた中東の砂漠における遠距離砲撃戦に不適格な主砲であり、遠距離からの砲撃を基本とするイスラエル国防軍戦車部隊にとっては看過し得ない重大な問題であった。

オリジナルのセンチュリオンが搭載していたロールス・ロイスミーティア・エンジンは、航空機用のマーリン・エンジンを改良したガソリンエンジンであり、燃料ガソリンを使う性質上引火爆発の危険性が高く、航続距離も100km程度と非常に短いため長時間の機動作戦行動がままならなかった。

ブレーキトランスミッションなどの機関部も中東での運用に不適切な設計であり、勾配の急な砂漠の砂丘を幾度となく超えるとトランスミッションやブレーキが焼け付いたりエンジンのエアフィルタで詰まってオーバーヒートを起こすなど機械的な信頼性を著しく欠くものであった。

従来のM4 シャーマンと操作や整備の要領が違う点も、搭乗員や整備員の不評を買っていた。このため、イスラエル軍の戦車兵にはセンチュリオンへの搭乗を拒否し、シャーマンへの搭乗を希望する者が続出する始末であった。

このように、イスラエル軍の戦闘教義や中東の運用には不適格なセンチュリオンであったが、すでに多数を買い取っていた上に資金不足のイスラエルにはセンチュリオンの運用を継続する以外に選択の余地は無かった。幸いにもセンチュリオンは設計に際して将来の近代化改修に対応可能なように大きな余裕を持って設計されていたため、「イスラエル機甲部隊の父」と呼ばれ、後にメルカバ開発に参加するイスラエル・タル将軍は、センチュリオンに各種の近代化改修を行うことで対処することにした。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef