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出典検索?: "ショウ・ノー・マーシー" スレイヤーのアルバム
『ショウ・ノー・マーシー』
スレイヤー の スタジオ・アルバム
リリース1983年12月3日
録音1983年
ジャンルスラッシュメタル
スピードメタル
時間35分02秒
レーベルメタル・ブレイド・レコーズ
プロデューススレイヤー, Brian Slagel
専門評論家によるレビュー
Allmusic link
スレイヤー アルバム 年表
ショウ・ノー・マーシー
(1985年)ヘル・アウェイツ
(1985年)
ミュージックビデオ
「Black Magic」 - YouTube
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『ショウ・ノー・マーシー』(Show No Mercy)は、アメリカのスラッシュメタルバンド、スレイヤーのデビューアルバムでメタル・ブレイド・レコーズより1983年にリリースされた。 まだ当時無名だったスレイヤーが、ロサンジェルスのWoodStock Clubで「Bitch」という女性ヘヴィメタルバンドのライブの前座で出演していた所を、たまたまメタル・ブレイド・レコーズの社長Brian Slagelが見ており、彼らがアイアン・メイデンの「Phantom Of Opera」をカバーした演奏を非常に気に入り、ライブが終わった後にバックステージでメンバーに対し「うちのレーベルから出す"Metal Massacre III "というオムニバスアルバムに参加しないか」と誘った事から、メタル・ブレイド・レコーズと契約する事となった(Metal Massacre IIIには"Aggressive Perfector"という曲を提供した)。ただしアルバム製作費用はバンド側が支払わなければならなかったため、当時病院で呼吸療法士として働いてたVo/Baのトム・アラヤの貯金と、Guのケリー・キングの父親から借金をして費用を用意した。
概要
アルバムは全体を通して当時すでにスレイヤーの代名詞だった「悪魔主義」的なイメージを踏襲し、"The Antichrist" や"Black Magic"などの過激な曲が多く収録されていたため、PMRC(Parents Music Resource Center)からアルバムを発売しないよう抗議もあった。これに対しトム・アラヤは「当時PMRCはこの手の音楽に抗議してた。でもこのアルバムを出した時は人々を怖がらせるようなバンドのイメージ作りをしていたからそんなの気にしてられなかったよ」と語っている。
またケリー・キングが「このアルバムはあちこちにアイアン・メイデンの影響がある」と語る通り、アイアン・メイデン、ヴェノム、ジューダス・プリースト、マーシフル・フェイトなどの影響が端々に感じる音楽性となっている。
アルバム収録時のメンバー
トム・アラヤ: ボーカル・ベース
ジェフ・ハンネマン:ギター
ケリーキング:ギター
デイヴ・ロンバード:ドラム
収録曲#タイトル作詞作曲時間
1.「Evil Has No Boundaries」ハンネマン, キングキング3:09
2.「The Antichrist」ハンネマンハンネマン, キング2:49
3.「Die by the Sword」ハンネマンハンネマン3:36
4.「Fight Till Death」ハンネマンハンネマン3:37
5.「Metalstorm/Face the Slayer」キングハンネマン, キング4:53
6.「Black Magic」キングハンネマン, キング4:03
7.「Tormentor」ハンネマンハンネマン3:45
8.「The Final Command」キングハンネマン, キング2:32
9.「Crionics」ハンネマン, キングハンネマン, キング3:29
10.「Show No Mercy」キングキング3:06
その他
アルバム発売に伴いアメリカ国内をツアーする事になったが、メンバーには行く場所とその電話番号のメモを渡されただけだった。
呼吸療法士として病院で働いていたトム・アラヤがツアー初日も仕事があったがメンバーに「どうする?」と尋ねた所、「今回を逃したらもうツアーなんて出来ない」という結論になり、アラヤが所有していたカマロとU-ホールに分乗してツアーに出発した。
ツアーマネージャーなどもいなかったが、ツアー最初のカルフォルニアでDoug Goodmanという人物に会い(当時薬局で働いていたがバケーションでたまたまたライブハウスにいた)、ツアーマネージャーを助けてくれる事になった。その後彼は本格的にツアーマネージャーを本業とする事になりグリーン・デイやベックのツアーマネージャーもしている。