シュラクサイ包囲戦_(紀元前214年-紀元前212年)
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シュラクサイ包囲戦

シュラクサイの城壁
戦争:第二次ポエニ戦争
年月日:紀元前214年?紀元前212年
場所:シュラクサイ(現在のシラクサ
結果:ローマの勝利
交戦勢力
共和政ローマシュラクサイ
カルタゴ
指導者・指揮官
マルクス・クラウディウス・マルケッルスヒポクラテス
エピシデス
戦力
歩兵18,000
騎兵2,00021,000
損害
2,00010,000
第二次ポエニ戦争


サグントゥム

ローヌ川

アルプス

ティキヌス

トレビア

キッサ

トラシメヌス湖畔

エブロ川

アゲル・フレルヌス

ゲロニウム

カンナエ

第一次ノラ

デルトサ

第二次ノラ

カルヌス

第一次ベネヴェントゥム

第三次ノラ

シュラクサイ

第一次タレントゥム

第一次カプア

第二次ベネヴェントゥム

シラルス

第一次ヘルドニア

バエティス川

第二次カプア

第二次ヘルドニア

ヌミストロ

カヌシウム

第二次タレントゥム

カルタゴ・ノウァ

バエクラ

グルメントゥム

メタウルス川

イリッパ

クロトナ

ウティカ

バグラデス川

キルタ

ポー平原

ザマ

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シュラクサイ包囲戦(シュラクサイほういせん)は第二次ポエニ戦争中の紀元前214年から紀元前212年にかけて発生した攻城戦。シュラクサイ(現在のシラクサ)はシチリア島東岸の都市であるが、マグナ・グラエキア(南イタリアおよびシチリア)のギリシャ殖民都市の中で最も繁栄していた。第一次ポエニ戦争時にシュラクサイはローマと同盟を結んだが、それを解消してカルタゴと同盟を結んだためローマ軍に包囲され陥落した。ローマ軍はシチリア島全体を支配下に置いた上で、シュラクサイに押し寄せた。包囲戦の間、街はアルキメデスが発明した兵器によって防衛されていた。アルキメデスは偉大な発明家であり博学者であったが、陥落後にローマ軍司令官マルクス・クラウディウス・マルケッルスの命令に反して殺害された[1]
目次

1 序幕


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