シュメール神話
[Wikipedia|▼Menu]

シュメールの神話はシュメール神話である。メソポタミア神話全体に大きく影響を与え、フルリ人アッカドバビロニアアッシリアの神話、その他の文化に引き継がれた。目次

1 信仰

1.1 楔形文字の発明

1.2 建築

1.3 僧侶

1.4 宗教行事


2 世界観

2.1 創造神話


3 神々

4 初期の神々

4.1 パンテオン


5 後世に残した影響

5.1 アッカド人

5.2 バビロニア

5.3 フルリとヒッタイト

5.4 その他の影響


6 関連項目

7 出典

8 参考文献

9 外部リンク

信仰 紀元前19世紀楔形文字で書かれた賛歌。この賛歌はラルサのルガル(Lugal、王)イディン・ダガン(Iddin-Dagan)に宛てられている。
楔形文字の発明

文字の発明までのシュメール神話は口承によって語り継がれてきた。初期のシュメールの楔形文字は記録手段にすぎなかったが、初期王朝時代(early dynastic period)になると賛歌という形の宗教文学に[1]、そしてナム・シュブ(nam-?ub)と呼ばれるまじないに使われるようになった[2]
建築

初期のシュメールの都市国家では寺院は一段高い場所に造られた小さいワンルームの物件だった。その後初期王朝時代(early dynastic period)に複数の部屋とテラスを持つようになった。シュメール文明が衰退するころにはジッグラトがメソポタミアの宗教の寺院様式としてふさわしいものとされるようになる[3]。寺院は文化、宗教、政治の中心として機能し、およそ紀元前2500年ごろにルガル(Lu-gal、字義をとれば男+大きい[2]、軍事的コンテクストを背景に持つ王)が生まれると政治と軍事の中心は宮殿に分けられた[3]
僧侶 シュメール人の信徒

ルガル、すなわち王の登場まで、シュメールの都市国家はエン(英語版)(神官)の組織による事実上の神権政治が行われていた。神官たちは都市国家の文化、宗教の維持を担っていた。彼らは人と自然の力とを繋ぐ媒介者と考えられていた。神官は寺院に住まい、都市の存亡を左右する大規模な灌漑事業を含む都市国家の諸問題に取り組み、統治を行った。
宗教行事

ウル第三王朝時代、シュメールの都市国家ラガシュは62名のラメンテーション・プリースト(ラメント行う神官)を雇っており、それぞれには合唱団と楽団があわせて180名ついていたといわれている[4]
世界観

シュメール人は世界を閉じたドーム状で、その外には原初の海が広がっていると考えていた[5]。ドームの基礎をなす地表の下には地下世界アプスーと呼ばれる淡水の海が広がっていると考えていた。ドーム状の空を司る神はアン(An)、地上の神はと呼ばれた。原初の海はナンムと呼ばれ、シュメール・ルネサンス(ウル第三王朝)の中でティアマトと呼ばれるようになった。
創造神話

原初のアンとキがエンリルを生み出し、エンリルは後にシュメールのパンテオンのリーダーとなった。大気の女神ニンリルを妻にしようと彼女を犯したエンリルは、他の神々に咎められディルムンから追放された。ニンリルは月の神ナンナを設けた。ナンナはニンガル(Ningal)との間に戦争と豊穣の神イナンナ、そして太陽の神ウトゥ(Utu)を儲けた[6]

増えた神々が食料を得るために、低位の神々は農作業などに追われるようになった。この為、知恵の神であるエンキが神々にかわり労働する人間を作り出す方法を考え出した。これにより母神であるナンムが粘土から人間を創造し、その手伝いはニンマフが行った[7] 。のちに神々は「大洪水」を起こし人間を滅ぼすが、エンキは王で信仰深い神官であったジウスドゥラへと洪水が起きるという神託を下していたため、ジウスドゥラは大船を用意し、家族や動物の種をのせ生き残った。七日七晩の洪水の後、船から出たジウスドゥラが神々へ牡牛と羊を捧げると、神々はジウスドゥラに永遠の命を与え、東方のディルムンへと住まわせた[8]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef