紋章地図
基本情報
連邦州:ラインラント=プファルツ州
地域:ライン=ネッカー地域
郡:郡独立市
面積:42.58 km2
人口:
50,931人(2017年12月31日現在)[1]
人口密度:1,196 人/km2
標高:海抜 92 - 113 m
郵便番号:67346 (旧: 6720)
市外局番:06232
緯度経度:北緯 49度19分10秒
東経 8度25分52秒{
ナンバープレート:SP
自治体コード:07 3 18 000
市の構成:4 市区
市庁舎の住所:Maximilianstrase 100
67346 Speyer
ウェブサイト: ⇒www.speyer.de
E-Mail:poststelle@stadt-speyer.de
シュパイアー(標準ドイツ語: Speyer、アレマン語: Spayre(シュパイレ))は、ドイツ中南部の都市。ラインラント=プファルツ州南東部に属する。街の人口は約5万人(2003年)である。ローマ帝国時代に建設された。かつては舞台ドイツ語の発音に基づいてシュパイエルと呼ばれた。シュパイヤーの表記も用いられる。 フランケン地方西北部のライン川の左岸に位置している。近隣の都市としては、約15キロ北東にハイデルベルク、20キロ北にマンハイム、35キロ南にカールスルーエが位置している。また、かつてアレマン人の定住地域が南部付近にあった。 4世紀には司教座が置かれていた。1030年には、当時の神聖ローマ皇帝であるコンラート2世によって、シュパイアー大聖堂(シュパイエル大聖堂)の建設が始められた。ザーリアー朝の中心都市であった。13世紀末、神聖ローマ帝国内の自由都市となった。 宗教改革に際しては、1526年にこの地で帝国議会が開催された(第1回シュパイアー帝国議会)。結論はルター派に有利なもので、事実上各領邦に宗派の選択権を認めていた。ここに領邦教会体制
目次
1 地勢
2 歴史
3 文化
4 姉妹都市
5 出身有名人
6 関連項目
7 引用
8 外部リンク
地勢
歴史
1688年から1689年にかけて起こったプファルツ継承戦争で、街はほぼ完全に破壊された。街の復興は1698年頃から始まった。フランス革命からナポレオン戦争の時期は、フランスの支配下に置かれた。19世紀前半、バイエルン王国の支配下に入った。第二次世界大戦後、ラインラント=プファルツ州の一部となり現在へと至る。 シュパイアー大聖堂は、ロマネスク建築の代表的な聖堂である。建設を始めた皇帝コンラート2世らが埋葬されている。また、ユネスコの世界遺産に登録されている。 行政専門の大学院であるシュパイアー行政大学院の所在地でもある。
文化
姉妹都市
グニェズノ、ポーランド
クルスク、ロシア
シャルトル、フランス
スポルディング
トンスベルグ、ノルウェー