シュタールヘルム
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「シュタールヘルム」はこの項目へ転送されています。ヴァイマル共和政時代の政党・準軍事組織については「鉄兜団、前線兵士同盟」をご覧ください。
シュタールヘルムを被り、入隊宣誓式に臨むドイツ陸軍の新兵たち(1940年、ポーゼンにて)

ドイツ軍のヘルメット(ドイツぐんのヘルメット)は、20世紀以降ドイツ軍で使用された戦闘用ヘルメットについて述べる。

一般的に、プロイセン王国時代から第一次世界大戦頃まで汎用されたピッケルハウベ(Pickelhaube、革製の角付ヘルメット)と、その後導入され、第二次世界大戦後まで広く使用されたシュタールヘルム(Stahlhelm、鋼の兜)が有名で、共に各時代の「ドイツ軍」や「ドイツ兵」の象徴とされている。他国では、この2つの言葉はドイツ語の原語のまま「ドイツ軍のヘルメット」を指す固有名詞として用いられている。
変遷
種類

M16


M18

M35(ドイツ語版)

M40

M42

M44

M45(ドイツ語版)

第一次世界大戦前「ピッケルハウベ」も参照

帝政ドイツでは、建国以来陸軍のヘルメットはピッケルハウベ(Pickelhaube、角付き兜)が用いられてきた。第一次世界大戦の頃にはピッケルハウベには連隊番号を付したカバーをかけるようになっていたが、塹壕戦で、革製のピッケルハウベでは砲弾の破片などから頭部を守ることができず、頭頂部の金属製スパイクが遠距離からも目だって狙撃の標的になりやすいなど、近代戦の戦場に著しく不向きであることが判明した。ドイツ帝国軍は新型の鋼鉄製ヘルメットの開発に着手し、1916年にいわゆるシュタールヘルム(Stahlhelm)が完成した直後から、急速にピッケルハウベを更新していった。「Stahlhelm」というドイツ語の単語は(鋼鉄の)」に相当し、鋼鉄製の軍用ヘルメット一般の意味である。1916年型に続くバリエーションとして、無線や電話の受話器を耳に当てやすいよう、ふちの両側面に半円形の切り欠きを追加した1918年型が導入された。同じ1918年には、それまで単色で塗られていたシュタールヘルムに迷彩塗装を施すよう指令が出された。シュタールヘルムはその形状が類似していたことから、「石炭バケツ」とも通称された。形状はひさしが付き、後頭部にカバーがまわっているため、うなじを効果的に守り、また熱中症予防にもなった。この形状が気に入られ、同タイプのヘルメットが各国で採用されている。

ピッケルハウベを着用したオットー・フォン・ビスマルク

プロイセン騎馬猟兵用ピッケルハウベ

連隊番号の入ったカバーをしたピッケルハウベ

1916年型ヘルメット。両側面に飛び出ているリベットは、換気穴と装甲板増設用ピンとを兼ねている。

義勇軍への参加を呼び掛ける1918年のポスター

第二次世界大戦まで陸軍のデカールが貼られた1935年型シュタールヘルム

第一次世界大戦後の国軍においてピッケルハウベ型は廃止され、シュタールヘルム型が制式となり、1933年ナチスの政権獲得を挟んで、再軍備宣言がなされた1935年以降の国防軍、また武装親衛隊においても引き続き採用された。再軍備宣言がなされた数ヵ月後に採用されたM35鉄帽は、いわば軽量型と言えるもので、それ以前の第一次大戦型シュタールヘルムに比べて周囲のひさし、えり回りを中心に若干小型化されており、これが第二次世界大戦中のドイツ軍シュタールヘルムの標準形状となった。

1935年型は空気穴がヘルメット本体と別パーツになっているが、40年型以降は一体化されてプレス加工になった。また材質がモリブデン鋼からマンガン・シリコン鋼に変更された。ついで1942年7月6日には更なる工程の簡素化が行われ、これまでヘルメットの縁が中に折り曲げられていたのが、縁を少しだけ外側にそらすだけの1942年型が生産された[1]

また、1938年に開発された降下猟兵のヘルメットは、降下作戦時に吊索など周囲に引っ掛かる危険性を少なくするため、標準型のシュタールヘルム型に比べて、ひさしと側・後部のすそを短く切り取ったような形状をしていた。またあご紐も帽体と三点で連結したものに変更され、動揺しにくいよう配慮されていた。

戦争後半、特に生産力が損なわれた末期のドイツ軍は、各種兵器の簡略化に取り組んでいた。ヘルメットも例外ではなく、1944年ごろ、これまでのシュタールヘルム型の、頭頂部とひさしおよび側・後部の間にあった屈曲をフラットにした、全体として扁平な円錐形のヘルメットが開発され、ドイツ国特許(Deutsches Reichspatent)番号706467も取得した。このヘルメットは従来のシュタールヘルム型より加工工数が低減され、避弾経始の面で改善されていたが、採用はされなかった。一説には東ドイツ国家人民軍で採用されたヘルメット(下記参照)に影響を与えたといわれる。

国防軍(陸軍、海軍、空軍)と武装親衛隊では、それぞれ貼り付けるデカールが異なり、陸軍は左側に陸軍鷲章、右側に国防軍共通の黒白赤(シュヴァルツ=ヴァイス=ロート)(ドイツ語版)の国家色のデカールを貼り付けた。海軍は左側に鷲章(デザインは陸軍と同じだが色が)。空軍は左側に空軍鷲章(デザインが陸海軍と異なる)、武装親衛隊は左側にナチ党旗(ハーケンクロイツ)、右側にSSのルーン文字のデカールを入れた。ただし戦場ではこれが目立ち、迷彩効果上問題があったため、国家色とナチ党旗のデカールは1940年3月、鷲章とSSのデカールは1943年8月に廃止となった[1]

黒白赤の国家色デカールが貼られた1935年型シュタールヘルム。

武装SSのデカールが貼られた1935年型シュタールヘルム(1941年フリッツ・レントロップSS中尉)

秩序警察のデカールが貼られた秩序警察の1940年型シュタールヘルム。

武装SSのデカールが貼られた40年型シュタールヘルム。

1918年型(左)と1935年型(右)の比較

空軍鷲章のデカールが貼られた1940年型シュタールヘルム。

秩序警察のデカールが付いた1942年型シュタールヘルム

1942年型シュタールヘルムを被り、パンツァーシュレックを携える兵士。1944年の写真のため、既にデカールは貼られていない。

空軍降下猟兵用のシュタールヘルム。降下時の引っ掛かり防止のためひさしやすそ部分が極端に短い

1935年型シュタールヘルムの内側

生産工程の省力化を目指した1945年型シュタールヘルム。結局採用されなかったが、東ドイツ国家人民軍のヘルメットに影響を与えたと言われる

陸軍のシュタールヘルムのデカール。左側に陸軍鷲章。右側に黒白赤の国家色。

海軍のシュタールヘルムのデカール。左側に金色の海軍鷲章。右側に黒白赤の国家色。

空軍のシュタールヘルムのデカール。左側に空軍鷲章。右側に黒白赤の国家色

武装親衛隊のシュタールヘルムのデカール。左側にナチ党の党旗、右側にSSルーン文字のデカールを入れる。

秩序警察のシュタールヘルムのデカール。左側にナチ党の党旗、右側に秩序警察鷲章

第二次世界大戦後詳細は「戦闘用ヘルメット (ドイツ連邦軍)(ドイツ語版)」を参照

第二次世界大戦後、西ドイツで編成されたドイツ連邦軍はナチス時代の国防軍との決別、差別化を図るために当初はアメリカ製M1ヘルメット、1956年にはこれを原型としたM56型ヘルメットを採用した。M1がスチールシェルと内装付きライナーを重ねる構造を持つのに対し、M56では従来のシュタールヘルムと同様に、内装を直接スチールシェルへ取り付ける方式が採用され、いわば米独折衷の構造であった。


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