シュタイナー教育
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シュタイナー教育(シュタイナーきょういく、ドイツ語: Waldorfpadagogik、英語: Waldorf education)とは、ルドルフ・シュタイナーが提唱した「芸術教育」(: Erziehungskunst)としての実践であるヴァルドルフ教育を、日本で紹介する際に名付けられた[注釈 1]。教育という営みは、子供が「自由な自己決定」を行うことができる「人間」となるための「出産補助」であるという意味で、「一つの芸術」であると考えられている[1]。その思想と実践は、シュタイナーが創設した人間が自らの叡智で人間であることを見出すという神秘的学説・人智学(アントロポゾフィー)によって支えられている[2]。独自のシステムで養成された教師により行われ、教員の法的立場は国や修了した養成組織によりそれぞれ異なっている[1]。カリキュラムや授業内容も公的なものとは異なっており、独特の芸術教育などが知られる。

1919年にドイツ南部ヴュルテンベルク州シュトゥットガルトに初めて学校が開かれた[1]第二次世界大戦後にその数を増やし、20世紀末時点で世界全体で約780校の姉妹校がある[3]。シュタイナー学校は発祥の地ドイツで最も数が多く、次いでアメリカが多い[4]。シュタイナーの死後、障害児の支援を長年行って高く評価されており、イギリスのキャンプヒル共同体及び関連する活動(キャンプヒル運動)では、学習障害を持つ人々に生涯にわたるケアを行っている[5]。国家が教育を独占していたドイツで私学・代替学校[注釈 2]の可能性を切り開き、教育を豊かにすることに貢献した。アメリカでは近年、公的資金を獲得したチャーター・スクール型のシュタイナー学校が相次いで設立されているが、それにより、特定の世界観を持つ学校に公費を出すことの是非が議論の的になった[4]。シュタイナー教育は自由教育の象徴的存在とも捉えられており、日本では知識偏重の受験教育に対する代替として支持を集めている[6]。日本では実践は受け入れられるが、思想は敬遠される傾向がある[6]ニュージーランドオークランドのシュタイナー学校イギリス・サセックスのフォレストロウ(英語版)のシュタイナー学校
呼称

シュタイナーの人智学に基づく教育思想と実践は、ドイツでは最初にできた学校名を冠して ヴァルドルフ教育と呼ばれ、日本では、シュタイナー教育などと呼ばれ、子安美知子が1975年に出版した『ミュンヘンの小学生』[7]では、「ルードルフ・シュタイナー学校」「自由ヴァルドルフ学校」として紹介した[7]。現在、シュタイナー教育と呼ばれることが多い。小学館が発行する国語辞典大辞泉』においても、子安が娘の学校での教育を紹介するのに用いた『シュタイナー教育』という表記が用いられている[注釈 3]

ただし、シュタイナーから直接教育思想を学び、最初に実践した人々は「シュタイナー教育」「シュタイナー学校」と呼ぶことはなかった。小杉英了は、最初の実践者たちが「シュタイナー教育」という呼称を選ばなかったのは、個人の名前と結びついた特定の世界観を子供たちに教え込む教育ではないということを弁えていたためである、と述べている。[8]
歴史
ヴァルドルフ学校設立ルドルフ・シュタイナー

1907年頃からルドルフ・シュタイナーは子供の教育についても論文を発表していたが、教育界からはほとんど無視されていた。その彼が実際に実験学校を指導することになったのは、エミール・モルト(ドイツ語版)という実業家の要請がきっかけであった。

シュタイナーは、第一次世界大戦の勃発とその後の破滅的な社会の混乱から、社会有機体をそれぞれ自律的な政治生活、経済生活、精神生活の三つの領域に分節化し、精神生活には自由が、政治・法的生活には平等が、経済生活には友愛が、それぞれの指導原理として働くことができる、三分節化された社会構造を構築することが必要であると考えた(社会三層化論[3]。そしてベルリンの労働者教養学校での約5年間の講師体験も踏まえ、労働者階級が本当に求めているものは精神生活 (宗教、芸術、学問、文化等)を基盤とする「人間の尊厳の意識」、つまり人間精神の充足であるとし、これを社会改革に不可欠なものと捉えた[3]。シュタイナーの思想に共鳴する人々の輪は、シュトゥットガルトを中心に大きくなり、「社会三層化運動」と呼ばれる国民運動に発展した。この運動の中心人物の一人が、貧困から身を起こし、当時は約1千人の労働者を擁するヴァルドルフ?アストリア煙草工場を経営し、「商業顧問官」の称号まで付与されていた人智主義の実業家エミール・モルトである[3]。この煙草工場は、ヴァルドルフからアメリカに移住しウォルドルフ=アストリアホテルの経営を始めたアストル家が、地の利から故郷ドイツに煙草工場を作るに至ったもので、モルトは共同経営者だった。早くからドイツ神智学協会の会員であったモルトは、シュタイナーの講演を聞き、社会三層化論に感銘を受けた[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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