シュスワプ語
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シュスワプ語
シュスワップ語
Secwepemctsin
話される国
カナダ
地域ブリティッシュコロンビア州
民族シュスワップ族(英語版)
話者数流暢に話すことが可能である話者は197人、半話者(英語版)(: semi-speakers)は1千187人[1]
言語系統セイリッシュ語族: Salishan)

内陸語派(: Interior (en) )

シュスワプ語


公的地位
公用語なし
統制機関Secwepemc文化教育協会 (en) 
言語コード
ISO 639-3shs
Glottologshus1248  Shuswap
消滅危険度評価
Severely endangered (Moseley 2010)
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シュスワプ語(シュスワプご)またはシュスワップ語(シュスワップご、: Shuswap; 原語名: Secwepemctsin[2] [sx??pmx?t?sin][3][注 1])とは、カナダ西部ブリティッシュコロンビア州ファースト・ネーション[注 2]のうちのシュスワップ族の固有言語である。北米の太平洋岸北西部に分布するセイリッシュ語族の内陸語派に属する。原語名の Secwepemctsin は民族名 Secwepemc 〈シュスワップ族〉と -tsin 〈口〉の合成語である[3]

20世紀には、カナダ政府がシュスワップ族に対して、強制的かつ抑圧的な寄宿学校制度を行い、親世代から子世代への言語の継承が阻害されてきた。その上、近年も話者の高齢化が進む一方で、若い世代の第一言語英語切り替わる傾向にあるが、衰退するシュスワプ語を教育によって再興しようという取り組みも行われている(参照: #言語教育)。シュスワプ語は19世紀末には学術的な場において取り上げられているが、研究の発展は20世紀、特に1970年代前半に文法記述が発表されてから見られた(参照: #研究史)。

言語自体の特徴としては、音韻的には子音の数が多く(参照: #子音)、形態的には重複: reduplication)と接辞による語の変化が見られるほか、セイリッシュ語族の言語としては唯一一人称複数に包含(: inclusive)と除外(: exclusive)の区別が見られ(参照: #文法#形態論)、統語的には動詞が他の要素より先頭に来る語順の傾向(参照: #語順)や2種類の格(参照: #格)が見られ、また形態統語的には主要部標示: head marking)型言語である(参照: #統語論における代名詞)といった点が挙げられる。

2000年から公開されているウェブサイト FirstVoices(英語版)では、他の様々なファースト・ネーションの言語と共にシュスワプ語の語彙や成句が音声つきで紹介されている。

都市カムループス(Kamloops)の名は、シュスワプ語の T'kemlups〈川の合流点〉に由来するものである[5]。また、淡水に生息する魚であるヒメマスを表す英語の kokanee は、同じ意味のシュスワプ語 k?kn?x? / keknecw を語源とする説が存在する[6]。なお、このように表記揺れが激しい場合も見られるが、これに関しては#正書法についてを参照されたい。
分布

シュスワプ語が話されているのはブリティッシュコロンビア州の東寄りの中央部[2]フレーザー川沿い[7]の地域であるが、その周囲では他の先住民語が話されている。南側では同じセイリッシュ語族内陸語派のリルエット語(英語版)(Lillooet; 原語名: St'at'imcets[8][9])やトンプソン語(英語版)(Thompson; 原語名: n?e?kepmxcin または Nlaka'pamux[10])、オカナガン語(Okanagan; 原語名: Nsilxcin または nsiylxc?n[11])が話されているが、他の方位の諸言語は語族の分類すら異なり、それぞれ西はアサバスカ語族のチルコティン語(英語版)(Chilcotin; 原語名: Tsilhqot'in[12])やキャリア語(英語版)(Carrier; 原語名: Dakelh[13])、北もアサバスカ語族のセカニ語(英語版)(Sekani; 別名: Tse'khene[14])、東はアルゴンキン語族ブラックフット語: Blackfoot)となっている[15]

Golla (2007) で Marianne Boelscher Ignace が伝えるところによると、現代のシュスワプ族はカムループスにおける定住地を最大とする17のバンド(英語版)に分かれている。
方言

Kuipers (1974) はシュスワプ語の方言としてアルカリ湖(英語版)(: Alkali Lake)方言やカニム湖(英語版)(: Canim Lake)方言、シュガーケーン居留地(英語版)(: Sugar Cane Reserve)方言、デッドマンズクリーク(英語版)(: Deadman's Creek)方言などといった括りを用いているが、Lewis et al. (2015) や Hammarstrom (2016) などでは単純に西部方言(: Western)と東部方言(: Eastern)とに二分されている。
歴史
言語教育

19世紀中頃から後期にかけて天然痘が流行し、これによりシュスワップ族の文化は弱体化したが、その時期にはカナダ政府による先住民「文明化」の目論見が進められていた[16]。1876年のインディアン法: Indian Act)により先住民問題は法制化され、先住民人口をイギリス系カナダ人社会へ同化しようという植民地的な動機から、イギリス系カナダ人の行政官らはそれまで地方にあった産業学校[注 3]アメリカ式の寄宿学校[注 4]に置き換えようと考えた[19]。寄宿学校を始め、産業学校、昼間学校[注 5]など様々な形態の学校の取り組みが行われたものの、学校を卒業した先住民たちはイギリス系カナダ人の社会に適応できておらず、政府から見ても成果が思わしくないことは明らかであり (Titley 1986: 81)[18]、学校が先住民地域社会と近接していることが悪影響を及ぼす結果となっていると考えられるようになった。1920年になるとインディアン法に7歳から15歳の先住民にルーツを持つ子どもたちを学校に通わせることを義務とする規定が、また1930年には同法に従わなかった親に罰金刑や懲役刑を課す節が新たに設けられた[18]。こうした過程によりシュスワップ族の言語も文化と共に衰退の一途を辿ることとなる。学校でシュスワプ語を話そうとすると罰せられるため、親たちは子どもを守るためにシュスワプ語は教えず、英語だけで育てるようになった (Haig-Brown 1989: 109–110)[20]。こうして寄宿学校生活を耐え抜いた者たちの孫世代にとって、シュスワプ語とは消滅の瀬戸際にある言語であった[18]

このような状況の中、1987年になるとシュスワプ語を消滅の危機から救う取り組みが始まった。それは生後まもなくから5歳にかけての子どもを対象とした取り組みで、ニュージーランドマオリ族による言語の巣マオリ語: Te K?hanga Reo(英語版); 英語: language nest)を模範としたものだった[21]。後には初等教育をイマージョン方式で行ったり[注 6]、4年生から7年生を対象としたバイリンガル教育、成人を対象とした授業、ファースト・ネーション共同体のための教員養成課程も州内外で行われたりするようになった[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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