シュザンヌ・ヴァラドン
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シュザンヌ・ヴァラドン
Suzanne Valadon
20代のシュザンヌ・ヴァラドン
本名マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(Marie-Clementine Valadon)
誕生日1865年9月23日
出生地 フランス帝国、ベッシーヌ=シュル=ガルタンプ(フランス語版)(ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県
死没年 (1938-04-07) 1938年4月7日(72歳没)
死没地 フランス共和国パリ
墓地サン=トゥアン墓地(Cimetiere parisien de Saint-Ouen)
国籍 フランス
配偶者ポール・ムージス(Paul Mousis)
アンドレ・ユッテル(フランス語版)
流派ポスト印象派表現主義
芸術分野絵画
教育独学、のちにエドガール・ドガに師事
代表作《エリック・サティの肖像》(1892-93)
《アダムとイヴ》(1909)
《祖母と孫息子》(1910)
《家族の肖像》(1912)
《網を打つ人》(1914)
会員選出組織国民美術協会
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シュザンヌ・ヴァラドン(Suzanne Valadon、1865年9月23日 - 1938年4月7日)は、フランス画家
人物

モンマルトルピュヴィス・ド・シャヴァンヌルノワールロートレックらの著名な画家のモデルを務めながら独学で絵を描き始め、エドガー・ドガに師事した。モーリス・ユトリロの母であり、幼いユトリロの素描から1921年制作の代表作《モーリス・ユトリロの肖像》まで息子を描いた絵を多数遺しているが、主に繊細な風景画を描いたユトリロとは対照的に、ヴァラドンは力強い人物画で知られる。

国民美術協会に出展した初の女性画家であり、国立美術学校で女性画学生による裸体モデルのデッザンが禁じられていた時代に、女性だけでなく男性の裸体も野獣派的な力強い線で表現した先駆的・前衛的な女性画家である。
生涯
背景

シュザンヌ・ヴァラドンは1865年9月23日、フランス中部のベッシーヌ=シュル=ガルタンプ(フランス語版)(オート=ヴィエンヌ県ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏)にマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(またはヴァラード)として生まれた[1][2]。母マドレーヌ・ヴァラドン(ヴァラード)は34歳の貧しい洗濯婦であった。父親については、クーロー(Coulaud)という姓で言及または噂されることがあるが不明である[2][3][4]

1870年頃(マリーが5歳の頃)、マドレーヌは娘を連れてパリに出て、労働者地区のモンマルトルに居を定めた[2][5]普仏戦争、次いでパリ・コミューンが起こった頃であり、モンマルトルは激戦地となり、この後、蜂起して犠牲となった民衆を弔うために建てられたのがサクレ・クール寺院であり[6]、ヴァラドンは生涯にわたってこの地に暮らすことになる。ロートレックの友人で画家のフランソワ・ゴージ(フランス語版)によるシュザンヌ・ヴァラドン(左)とロートレックのモデルの一人ジャンヌ・ウェンツの肖像写真(1890年頃)

マドレーヌはマリーをアパートの管理人などに預け、家政婦や洗濯・アイロン掛けの仕事をして生計を立てた。マリーはモンマルトル・サン=ジャン修道院が経営する小学校に入学したが[1][2]、1877年、11歳のときに退学して裁縫師になり、その後、大衆食堂の給仕、バティニョール市場野菜の売り子、店員、工場労働者などの仕事を転々とした[7][8]。15歳のとき、友だちの勧めもあって子どもの頃から憧れていたサーカス「モリエ」に入団した。曲芸師として活躍し始めたが(脇役であったとされるが[9])、6か月後に空中ブランコから転落して重傷を負い、退団を余儀なくされた[1][7][8][10]
画家のモデル
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ

ヴァラドンはやがてモンマルトルの芸術家と付き合うようになった。1880年代のモンマルトルは、安酒を出す「オ・ラパン・アジル」や「ル・シャ・ノワール」、「ムーラン・ルージュ」などのキャバレーが、ボエーム(ボヘミアン)の芸術家だけでなく娼婦やその情夫、犯罪者、浮浪者、社会の周辺に生きる人々などが集まる場所であった[11]。ヴァラドンは洗濯婦の母マドレーヌの仕事を手伝って、画家たちのところに洗濯物を届けて回っているうちに誘われて、画家のモデルを務めるようになった[8]。1880年頃に登録されていた16歳から20歳のモデルは約670人であったが、肉感的な身体、くっきりとした眉や大きな青い目、そして豊かな表情が魅力のヴァラドンは人気のモデルとなった[7]。エドガー・ドガは、マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンをその才能、魅力、人格を含めて両義的な意味で「恐るべきマリア」と呼んだ[1][9][10]。一方、美術評論家若桑みどりは、モデルとしてのヴァラドンを次のように評している。人間は、顔よりもその肉体に精神を秘めているものである。シュザンヌの肉体の、堂々とした調和は、健全で、知的な精神をもった女性を暗示している。彼女が第一級の芸術家の創作意欲を刺激したのは、彼女の肉体の中にエスプリと形式美があったからだろう[12]

最初に彼女を描いた高名な画家はピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)であった。現在知られている限りでは、1884年のサロン(官展)に出展されて話題を呼んだ大作《美神(ミューズ)と芸術にとって大切な聖なる森(Bois Sacre cher aux Arts et aux Muses)》(460 x 1040 cm、リヨン美術館蔵)[13][7]、および1891年制作の《夏》(クリーブランド美術館蔵)に描かれる「骨格のしっかりとした、均衡のとれた、古典的な美しさ」をもつ肉体の女性がヴァラドンとされる[12]


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