シュコダ・オート
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シュコダ・オート
種類子会社
業種自動車製造
設立1895 (ラウリン&クレメントとして)
創業者Vaclav Laurin and Vaclav Klement
本社ムラダー・ボレスラフチェコ
事業地域北米、日本、韓国、香港、マカオを除く全世界
主要人物Winfried Vahland (Chairman of the Board of Directors)
Martin Winterkorn (Chairman of the Supervisory Board)
製品自動車
生産出力 949,412台 (2012)[1]
サービス自動車金融サービス
売上高 ?104億 (2012)
営業利益17,316,000,000 チェコ・コルナ (2020年) 
利益 ?7億1200万(2012)
総資産 K?1357億 (2010)
従業員数32000人以上 (2012)
親会社フォルクスワーゲン・グループ
子会社?koda Auto Deutschland
?koda Auto India
?koda Auto Polska
?koda Auto Slovakia
ウェブサイト ⇒skoda-auto.com

シュコダ・オート(: ?koda Auto)は、チェコ自動車メーカーである。本社は中央ボヘミア州ムラダー・ボレスラフ。現在はドイツフォルクスワーゲン・グループ傘下で、チェコ国内自動車生産のシェア1位を占める。スローガンは「SIMPLY CLEVER」。
概要シュコダ633(1931年)シュコダ・オクタヴィア(旧・1959年)シュコダ・ファヴォリット(1987?1995年)

オーストリア=ハンガリー帝国領時代の1895年、書籍商のヴァーツラフ・クレメント(Vaclav Klement)と機械工のヴァーツラフ・ラウリン(Vaclav Laurin)が自転車メーカーのラウリン&クレメント(Laurin & Klement)社として創業した。当初「スラヴィア」(Slavia)ブランドで自転車を生産し、まもなく補助エンジン付き自転車も発売。1899年にはオートバイの生産を開始した。1901年に同社初の自動車「ラウリン&クレメント」を製造。1907年株式会社化し、1912年にはリベレツの自動車メーカー、ライヒェンベルガー自動車工業(RAF; Reichenberger Automobilfabrik)を買収。第一次世界大戦の特需で急成長し、オーストリア=ハンガリー国内最大の自動車メーカーに成長した。

ラウリン&クレメント社は大戦敗戦によるオーストリア=ハンガリー帝国瓦解・会社所在地を含んだチェコスロバキア共和国成立後も、乗用車やトラック、航空機用エンジンの製造を手がけて好調な業績を維持したが、1924年に大規模な工場火災が発生して経営困難に陥り、翌1925年、特殊鋼や鉄道車両・兵器等の製造工場、鉱山、醸造所などを経営する国内大資本のシュコダ工業株式会社(?kodovy zavody, a.s.)に買収された。自転車とオートバイの製造はこのとき取りやめた。

買収に際し、創業者の1人ヴァーツラフ・ラウリンは技師長として迎え入れられ、開発中だったラウリン&クレメント360をシュコダ360として1926年に発表。以後「シュコダ」ブランドで自動車を製造した。また1925年から1928年にかけ、シュコダが航空用エンジンをライセンス生産していたイスパノ・スイザのフランス本社との提携により、当時、高性能・高品質で知られた100HP級の最高級車「イスパノ・スイザH6B」を「シュコダ・イスパノ・スイザ」として150台以上生産した。

1929年世界恐慌で経営に打撃を受けたものの、新車種が市場に支持されて経営を立て直した。ナチス・ドイツによるチェコスロバキア侵攻後、ドイツの重工業メーカー、ヘルマン・ゲーリング工業の傘下に置かれ、第二次世界大戦中は、ヤブロネツ・ナド・ニソウとムニホヴェ・フラディシュチの旧RAF社工場で兵器と不整地用車両の製造を行った。これらの工場は1951年に独立し、バス・トラック専門メーカーの国営会社リベレツ自動車工業(LIAZ; n.p. Liberecke automobilove zavody、2003年1月廃業)となった。

チェコスロバキア共和国は、終戦直後の1945年から戦後復興を目的に国内主要重工業企業の国有化を進めた。シュコダ工業は社会主義政権成立後の1948年に国有化が行われ、自動車製造部門が自動車工業国営会社(AZNP; Automobilove zavody, n.p.)に、部品製造部門が国営会社シュコダ・プルゼニ(n.p. ?koda Plze?)に分離された。AZNP社は先に国有化された自動車メーカー、タトラ国営会社が開発した乗用車、タトラT600「タトラプラン」の製造を行い、その後行われた国内の自動車生産体制再編で、タトラ社が高級車を、AZNP社が大衆車を開発・生産する形に整理された。

AZNP社の乗用車は引き続き「シュコダ」ブランドで生産され、1950年代後半から60年代にかけては、国際ラリーで優秀な成績をおさめ西側市場でも注目されたバックボーンフレーム車の「オクタヴィア」や、リアエンジンの小型車である「1000MB」「100/110」「105/120/125」などを開発し、社会主義体制下の不利な条件にもかかわらず、一定の国際的競争力を維持し続けた。その後、主要市場である共産圏諸国の経済低迷にともなってAZNP社の開発・生産力も落ち、70年代に開発されたモデルを90年代まで製造し続ける状態となった。一方でペレストロイカ開始後の1987年には、イタリアベルトーネ社設計のFF車「ファヴォリット」(Favorit)を発表し、シュコダ車の健在ぶりをアピールした。
フォルクスワーゲン子会社

1990年代からはフォルクスワーゲンの子会社となった。

1989年体制転換後、チェコスロバキア連邦政府は強力な外国資本を導入してAZNP社を民営化する方針を決めた。このときAZNP社ではフランスルノー社の東欧向け低価格車「ルノー・トゥインゴ」などの受託生産を行う方向で調整が進められていたが、ドイツのフォルクスワーゲン社が割って入る形で提携にこぎ着け、1991年にフォルクスワーゲン・グループの4番目のブランド、シュコダ・オート株式会社として民営化された。


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