シャーロット_(ヴュルテンベルク王妃)
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シャルロッテ・アウグスタ・マティルダ
Charlotte Augusta Matilda
ヴュルテンベルク王妃
シャルロッテ王妃
称号プリンセス・ロイヤル
Princess Royal
出生 (1766-09-29) 1766年9月29日
グレートブリテン王国バッキンガム宮殿
死去 (1828-10-05) 1828年10月5日(62歳没)
ヴュルテンベルク王国ルートヴィヒスブルク宮殿
埋葬 
ヴュルテンベルク王国ルートヴィヒスブルク
配偶者ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世
父親グレートブリテンジョージ3世
母親シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
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シャーロット・オーガスタ・マティルダ(Charlotte Augusta Matilda, The Princess Royal, 1766年9月29日 - 1828年10月5日)は、ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の王妃。ドイツ語名ではシャルロッテ・アウグスタ・マティルダ。
生涯

イギリスジョージ3世と王妃シャーロットの長女として、バッキンガム宮殿で生まれた[1]。1789年6月22日に王の長女の称号プリンセス・ロイヤルを授けられた[1]

1797年5月18日、ヴュルテンベルク公国のフリードリヒ公子とセント・ジェームズ宮殿で結婚した[1]。夫は最初の妃アウグステジョージ4世キャロラインの姉、シャーロットの従姉)との間に2男2女をもうけていた。シャーロットは1798年4月27日に女児を死産した[1]後、子供は生まれなかった。

1800年にナポレオン戦争の煽りでヴュルテンベルクは侵略され、シャーロットとフリードリヒはウィーンへ亡命した。フリードリヒは、自領モンベリアル伯領をフランスに譲渡し、替わりにエルヴァンガーを受け取った。1803年、フリードリヒはヴュルテンベルク選帝侯となった。のち、イギリス王家の介入もあり、ナポレオンの没落後ヴュルテンベルクは王国として復活した。

1816年に夫と死別すると、シャーロットはシュトゥットガルトルートヴィヒスブルク宮殿に住み、親族の訪問を楽しみに余生を過ごした。1819年には、弟ケント公エドワードの長女アレクサンドリナ・ヴィクトリア(のちのヴィクトリア女王)の代母をつとめた。1827年、浮腫の手術を受けにイギリスへ帰国した。翌年、ルートヴィヒスブルク宮殿で死去した[1]
注釈・出典^ a b c d e Weir, p. 288


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