市旗市章
愛称 : The Queen City
位置
右: ノースカロライナ州におけるメクレンバーグ郡の位置
左: メクレンバーグ郡におけるシャーロットの市域
位置
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シャーロット(Charlotte)は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州南西部に位置する都市。同部有数の世界都市。人口は874,579人(2020年国勢調査)[1]で同州最大、全米でも第16位である。メクレンバーグ郡を中心に11郡にまたがる都市圏は2,660,329人、2つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,822,352人(いずれも2020年国勢調査)[2]の人口を抱えている。
市名はジョージ3世の王妃シャーロットにちなみ、それ故に現代においてもクイーン・シティー(Queen City)という愛称を持っている。
初期にはゴールドラッシュで沸き、金鉱の街として栄え、金貨を造るために造幣局の支局も設けられた。やがてゴールドラッシュの中心はカリフォルニアへと移って下火となり、南北戦争が開戦すると造幣局は南軍に接収されたが、その後は綿織物産業が発展した。20世紀後半以降は金融センターとして急成長を遂げた。
シャーロットは南北カロライナの文化の中心地でもあり、市内には美術館や博物館、劇場などの文化施設が集中している。また、変わったところでは、シャーロットはNASCARの聖地として知られている。シャーロットやその近郊にはNASCARのスプリントカップ・シリーズに参戦するチームのほぼ全てがファクトリーを置いているほか、市内にはNASCAR殿堂が立地している。
歴史
初期シャーロット妃
ヨーロッパ人が入植する以前には、今日のシャーロットを中心とするこの地にはネイティブ・アメリカンのカトーバ族が住み着いていた。1740年代、ペンシルベニア、メリーランド、およびデラウェアの各植民地からスコットランド系・アイルランド系の入植者がこの地に入植した[3]。
やがて1762年、アンソン郡から分離独立する形でメクレンバーグ郡が創設された。郡名は当時のイギリス国王ジョージ3世の王妃シャーロットの出生地である、ドイツのメクレンブルク地方にちなんでつけられた[3]。
今日のシャーロットの起源は1755年頃、ヤドキン川とカトーバ川の間で、後にトレード・ストリートおよびトライオン・ストリートとなる2本の馬車道が交わる交差点に、トーマス・ポークが建てた1軒の家であった[4]。この1軒の家から始まった集落はやがて1768年、シャーロット妃の名を取ってシャーロットと名付けられ、正式に法人化された[3]。1770年には、トレード・ストリートとトライオン・ストリートを中心として、今日のアップタウン・シャーロットの基となった、整然とした街路が区画された[5]。1774年には、シャーロットはメクレンバーグ郡の恒久的な郡庁所在地になった[3]。
1775年5月20日、メクレンバーグ郡が植民地としてのイギリスとの関係を永久に断つことを明言した、「メクレンバーグ独立宣言」と呼ばれる宣言がシャーロットで出された。正式な独立宣言ではなかったものの、アメリカ独立宣言に先駆けて13植民地から出された、この類のものとしては初めてのものであった。この1775年5月20日という日付は、ノースカロライナ州旗・州章の両方に記されている[6]。
ゴールドラッシュリード金山跡
1799年、シャーロットの北東25マイル(約40km)、カバラス郡内のリトル・メドウ・クリークで、12歳の少年コンラッド・リードが光り輝く17ポンド(約7.7kg)の石を見つけた。リード父子はその石が何であるのか判らないまま、3年間家の戸止めとして使った後、ファイエットビルの宝石商にわずか3ドル50セントで売り渡した。この光り輝く石こそが、アメリカ合衆国史上初めて発見された金鉱石であった[7][8]。
やがてメックレンバーグ郡やその近辺では金鉱が矢継ぎ早に見つかり、19世紀初頭にはアメリカ合衆国史上初のゴールドラッシュが起こった。