シャーロック・ホームズ
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この項目では、登場人物について説明しています。作品については「シャーロック・ホームズシリーズ」を、その他の用法については「シャーロック・ホームズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

シャーロック・ホームズ
シャーロック・ホームズシリーズのキャラクター
シドニー・パジェットの描いたホームズの肖像(1904年
初登場『緋色の研究』(1887年)
最後の登場「ショスコム荘」(1927年)
作者アーサー・コナン・ドイル
演「シャーロック・ホームズを演じた俳優たち」節参照
詳細情報
性別男性
職業顧問探偵
親戚マイクロフト・ホームズ(兄)
国籍 イギリス
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シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)19世紀後半に活躍したイギリス小説家アーサー・コナン・ドイルの創作した[1]シャーロック・ホームズシリーズ主人公である、架空の探偵

彼の活躍する一連の作品は大して、推理小説の分野に一つの頂点を築いた。その魅力は今なお衰えず、世界中で読み継がれている。シャーロック・ホームズシリーズは「聖書に次ぐベストセラー」ともいう[2]
生涯スイスのマイリンゲンにあるホームズ像。インバネスコート鹿撃ち帽という服装は作中になく、挿絵や演劇によって作られたイメージであるベーカー街221Bの見取り図

生年や出身地は明確な記述がなく、はっきりしていない。

大学時代に友人の父親にまつわる事件(「グロリア・スコット号事件」)を解決したことで、探偵業を志すようになり、大学卒業後に大英博物館近くのモンタギュー街(Montague Street, 現在のカムデン区[注釈 1])で開業した。1881年、ルームシェアの相手として元軍医のジョン・H・ワトスン博士と初めて出会う(『緋色の研究』)。ホームズはその風采を見ただけでアフガン戦争の復員兵だと見抜き、驚かせた。

ワトスンと共にベーカー街の下宿(ベーカー街221B)で共同生活を始めた頃から名声が高まり、海外からも事件解決の依頼が寄せられるようになった。1891年に犯罪組織の頭目であるジェームズ・モリアーティ教授との対決(「最後の事件」)で、モリアーティ教授と共にスイスライヘンバッハ滝にて失踪。モリアーティ教授と滝壺に落ちて死亡したと思われた。だが、落ちたのはモリアーティだけであったと後にわかる(「空き家の冒険」)。ホームズは生きていたが、モリアーティ一味の残党から逃れるために姿を消していたと発言している。また日本を発祥とする東洋武術のバリツ[注釈 2]を体得していたおかげで、モリアーティ教授との戦いから生き永らえたという(「空き家の冒険」)。スイスライヘンバッハにある、ホームズとモリアーティ教授の追跡行の道標

モリアーティ一味の残党から逃れるために姿をくらましてからの行動ははっきりしない(チベットなどアジアにまで足を運んでいたという示唆もある。「空き家の冒険」の項を参照)。ホームズ自身の説明によると、兄のマイクロフト・ホームズに資金を援助してもらいながらモリアーティ一味の残党を倒そうとしたが上手くいかなかったという。

失踪から3年後、モリアーティの腹心の部下であるセバスチャン・モラン大佐を捕まえるため、ホームズはロンドンに戻った。老人に変装してワトソン宅を訪れ、ワトソンが背中を向けた隙に変装を解いて正体を明かすという茶目っ気のある方法で再会したためにワトソンを気絶させるほど驚かせた(「空き家の冒険」)。モラン大佐の逮捕後は、失踪する前と変わらず探偵業を続けた。晩年のホームズは探偵業を引退して田舎で養蜂の研究をしていたが、第一次世界大戦の直前には政府の依頼でドイツスパイ逮捕に協力した(「最後の挨拶」)。
人物像

優れた観察眼と推理力を有し、自らを世界で唯一の「民間諮問探偵[注釈 3]」(consulting detective) と称する。ロンドンベイカー街221Bにあるハドスン夫人所有のアパートで、相棒のジョン・H・ワトスン医師と共同生活をしている。

容姿は『緋色の研究』で詳しく描かれている。体格は痩身で身長は少なくとも6フィート(約183センチメートル)以上の長身、鷲鼻で角張った顎が目立つ。作者のドイル自身はとがった鼻のインディアンの様な風貌を想像していたという[3]

性格は極めて冷静沈着。行動力に富み、いざ現場に行けば地面を這ってでも事件の一端を逃すまいと血気盛んになる活動家。反対に兄のマイクロフト・ホームズは、シャーロックよりも鋭敏な頭脳を持つが、精力的な捜査に興味がない為に探偵にはならなかった(「ギリシャ語通訳」)。

ヴァイオリンの演奏にも長けており、ストラディヴァリ製のヴァイオリンを所有している。ボクシングはプロ級(当時はベアナックルの「ロンドン・プライズリング・ルールズ」から「クインズベリー・ルール」へ変更した直後)の腕前。拳銃射撃も弾痕でアルファベットを描けるほどの腕前(「マスグレーヴ家の儀式」)。化学実験を趣味とする。ヘビースモーカーであり、ペルシャスリッパの中にタバコをしまう奇妙な性癖があった。事件がなく退屈すると、アヘン[4]コカインモルヒネを使う薬物依存があった(当時は合法であった)。薬物に手を出すのはワトソンが何年もかけて止めさせた(但し完全に止めたわけではなく、いずれ再発する可能性があったようだ)。後年になるとこういったディレッタント風の退廃的な生活態度をやめ、野山や草木に親しむ保守的な英国紳士風の様子を見せるようになる。

生年月日や家族など私的な事柄については、本編中にはっきりした記述はない。「最後の挨拶」でthe man of sixty[注釈 4]とあるのがホームズの年齢に関するほとんど唯一の記述である。ただ、生年月日は1854年[注釈 5]1月6日とする説が有力である。また、出身はイングランドヨークシャー州北ライディングという説が有力である[注釈 6]ワトソン博士とホームズ(シドニー・パジェット画)

家族については、兄のマイクロフト以外はほとんど言及がない。本人は、先祖は地方の地主で、祖母がフランスの画家オラース・ヴェルネの姉妹だと述べている(「ギリシャ語通訳」)。また、ワトソンが開業していた病院を買い取ったヴァーナーという若い医者が、ホームズの遠縁に当たるという記述が見られる(「ノーウッドの建築業者」)。父と母に関する記述は正典中には無い。

出身大学についても本編中にはっきりした記述はない。「グロリア・スコット号事件」ではトレヴァーをカレッジで唯一の友人と記述し、「マスグレーヴ家の儀式」ではレジナルド・マスグレーヴを学寮が同じでちょっとした知り合いと述べている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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