シャーリー・マクレーン
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シャーリー・マクレーン
Shirley MacLaine

本名Shirley MacLean Beaty
生年月日 (1934-04-24) 1934年4月24日(90歳)
出生地バージニア州リッチモンド
国籍 アメリカ合衆国
職業女優歌手ダンサーライター活動家
ジャンル映画テレビドラマ舞台
活動期間1955年 -
配偶者スティーブ・パーカー (1954-1982)
著名な家族弟 ウォーレン・ベイティ
娘 サチ・パーカー
公式サイト ⇒shirleymaclaine.com
主な作品
アパートの鍵貸します』(1960年)
あなただけ今晩は
愛と喝采の日々
愛と追憶の日々
『マダム・スザーツカ』
ココ・シャネル

 受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1983年愛と追憶の日々
ヴェネツィア国際映画祭
女優賞
1960年アパートの鍵貸します
1988年『マダム・スザーツカ』
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(女優賞)
1959年『恋の売り込み作戦』
1971年『Desperate Characters』
名誉金熊賞
1999年
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
1983年『愛と追憶の日々』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
主演女優賞
1983年『愛と追憶の日々』
生涯功労賞
2016年
AFI賞
生涯功労賞
2012年
英国アカデミー賞
外国女優賞
1959年『恋の売り込み作戦』
1960年『アパートの鍵貸します』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ部門)
1983年『愛と追憶の日々』
1988年『マダム・スザーツカ』
女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1960年『アパートの鍵貸します』
1962年『あなただけ今晩は
セシル・B・デミル賞
1999年 映画界、演劇界への長年に渡る貢献に対して
新人賞
1955年『ハリーの災難』
特別賞
1958年
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
主演女優賞
1983年『愛と追憶の日々』ケネディ・センター名誉賞
2013年

備考
ハリウッド名声の歩道
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シャーリー・マクレーン(Shirley MacLaine、本名:Shirley MacLean Beaty、1934年4月24日 - )は、アメリカ合衆国出身の女優である。また自身の神秘体験を描いた著作を多数発表し、ニューエイジの旗手の一人としても知られた。バージニア州リッチモンド出身。俳優のウォーレン・ベイティは弟、サチ・パーカーは娘。
来歴・人物

バレエ学校で学び、16歳でブロードウェイにダンサーとしてデビュー。映画デビューは1955年アルフレッド・ヒッチコック作品『ハリーの災難』。コケティッシュな魅力で人気を博した。

1983年には『愛と追憶の日々』でアカデミー主演女優賞を受賞。ヴェネツィア国際映画祭ベルリン国際映画祭でもそれぞれ2回、女優賞を受賞している。

ニューエイジ[1]の旗手としても注目された。近代神智学の影響が濃い心霊治療エドガー・ケイシーの思想や、仏教思想を初めとする東洋文化、霊や宇宙人と交信するというチャネリングなど、ニューエイジを構成する思想に傾倒し広く紹介した。娘であるサチ・パーカーの名前は小森和子によって"blessed child"を意味する日本名「幸子」にちなんで名づけられた。1983年に刊行され世界的なベストセラーとなった『アウト・オン・ア・リム』などの自著で、自身の体外離脱神秘体験を語っている。

エドガー・ケイシーが唱えた輪廻転生[2]を支持し、自身の前生はアトランティス大陸の人間で、3500年前のアトランティスの戦士であったラムサと兄弟であったという[3]。ラムサはニューエイジのチャネラーであるJ. Z. ナイト(英語版)が交信する霊で、シャーリー・マクレーンは『ダンシング・イン・ザ・ライト』でナイトを高く評価しており、一時期支持していた[4][5]

1959年、日本を襲った伊勢湾台風の際には、義援金を基に日本の福祉団体を通して東海地区の小学校にピアノを寄付した逸話が残る[6]。『青い目の蝶々さん』では日本の谷洋子と共演している
ギャラリー

ハリーの災難』(1955年)

アパートの鍵貸します』(1960年)


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