シャーラタンズ
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この項目では、イギリスのバンドについて説明しています。アメリカの同名バンドについては「ザ・シャーラタンズ (U.S.バンド)」をご覧ください。

ザ・シャーラタンズ

基本情報
出身地 イングランド ウエスト・ミッドランズ
ジャンル.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

オルタナティヴ・ロック[1]

ブリットポップ[2]

インディー・ロック[3]

マッドチェスター[4]

活動期間1988年 -
レーベル

Dead Dead Good Records(自主レーベル)

ベガーズ・バンケット・レコード

ユニバーサル

サンクチュアリ・レコード

BMG JAPAN(日本)

クッキング・ヴァイナル

BMG

公式サイト ⇒thecharlatans.net

メンバー

マーティン・ブラント

ティム・バージェス

マーク・コリンズ

トニー・ロジャース


旧メンバー

ジョン・ブルックス

ロブ・コリンズ

ジョン・ベイカー

バズ・ケトレー

ザ・シャーラタンズ(The Charlatans)は、1990年にレコード・デビューしたイギリスのロック・バンドである。米国の同名バンドと区別させるため、米国で活動する際は「The Charlatans UK」と表記される。
歴史
結成

1988年英国ウエスト・ミッドランズで結成。以前にThe Gift Horsesというバンドで既に一緒に音楽活動をしていたマーティン・ブラント、ジョン・ブルックスの2人がロブ・コリンズらを招き入れ、バンドメンバーが一時的に固まる。結成当初のメンバーは、ブラント(ベース)、ブルックス(ドラムス)、ロブ(キーボード)、バズ・ケトレー(ボーカルギター)の4人。バンド名の候補は、ブラントが提案した「The Law Lords」とケトレーが提案した「The Charlatans」と2つあったが、貨幣の表裏で決めるコイン投げをして、ケトレーが提案した名称に決まる。結成直後、当時はまだブレイク前だったストーン・ローゼズなどの前座を務める。1989年にケトレーが脱退し、現在のボーカル、ティム・バージェスと旧ギター、ジョン・ベイカーが加入。バージェスの加入後、英国ノースウィッチに拠点を移し、レコードデビューに向けて活動を本格化させる。同年秋頃に3曲入りデモテープ(「インディアン・ロープ」「ホワイト・シャツ」「ユー・キャン・トーク・トゥ・ミー」のデモバージョンを収録)を制作後、ファーストシングルのリリースに至る。マーク・コリンズ(ギター)は1991年、トニー・ロジャース(キーボード)は1997年にそれぞれ加入している(加入した経緯は順を追って説明する)。
デビュー?新ギタリスト加入(1990年 - 1991年)

1990年2月10日、自主レーベル「Dead Dead Good」からリリースしたファーストシングル「インディアン・ロープ」でレコードデビュー。英インディーズチャートの1位となり、自主レーベルながらも全英チャートで89位にランクインした。当時のマッドチェスタームーブメントの火付け役であったザ・ストーン・ローゼズイアン・ブラウンを思わせるバージェスのボーカルスタイルとルックス、そして既に商業的成功を収めていたもう1つのマンチェスターバンド、インスパイラル・カーペッツを連想させるハモンドオルガンのサウンドから、バンドにオリジナリティーが無いなどと一部のプレスから否定的な批評を受ける。しかし、ルックスと楽曲の良さ、そして加熱していたマッドチェスタームーブメントが後押しし、インディーズのファン層を越え、一般レベルの認知度・ファン層を獲得。当時のマッドチェスタームーブメントでは商業的に一番成功したバンドと言われるようになる。

シングル1枚をリリースしただけで、ロンドンにある中堅バンド向けライブ会場の「Town & Country Club(現London Forum)」をソールドアウトにし業界関係者を驚かせるなど、デビュー当時の注目度はかなり高かった。ファーストシングルの後、インディーズレーベルの「Situation Two」(ベガーズ・バンケット傘下)と契約し、1990年5月14日にセカンドシングル「ジ・オンリー・ワン・アイ・ノウ」をリリース。ダンサブルなビートにパーカッシブなハモンドオルガンが全面に打ち出された同曲は、全英チャートで最高位9位にランクインし、マッドチェスタームーブメントを代表する曲となる。同年9月10日にサードシングル「ゼン」(全英最高位12位)をリリース後、10月8日にファーストアルバム『サム・フレンドリー』を発表。プロデューサージョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーレコーディング・エンジニアとして知られるクリス・ナグル。同アルバムは、インディーズチャート、全英チャートとも第1位を獲得し、インディーズバンドとしては破格の成功を収めた。

ファーストアルバムのリリースに合わせ全英ツアーを行った後、翌年1991年2月から3月にかけて、15カ所16公演の全米ツアーを行った。米国では当時、カレッジチャート「CMJ」で『サム・フレンドリー』が13週間連続で第1位になるなど、バンドへの注目度が高かったため、1公演を除きすべてがソールドアウトとなる盛況ぶりだった(ただし、全米ビルボードチャートでのランクインは73位止まり)。このツアーのライブは、後にファンクラブ限定でリリースされた『Isolation 21.2.91』(シカゴ公演を収録)で聴ける。また、全米ツアーの最中に英国で4thシングル「オーヴァー・ライジング」(全英15位)をリリース。ファーストアルバムとは違い、ギターを全面に打ち出した曲で、それまでの作品よりもロック色が強くなった作品と言える。B面に「ハプン・トゥ・ダイ」という曲があり、こちらの方がポップな曲調でA面向けの曲だったが、当時湾岸戦争が勃発し、曲のタイトル、サビの部分(Happen to Die = 偶然に死ぬ)がラジオテレビで放送するのに不向きであると判断されたため、急遽「オーヴァー・ライジング」がA面になったという逸話がある。そして、同年4月には初の来日公演を行った。クラブチッタ川崎で2日間行われた東京公演では、会場内を仕切る鉄柵が破損するほどの超満員を記録した。

1991年の夏頃、ギター担当のオリジナルメンバー、ジョン・ベイカーが脱退。当初の脱退理由は、「バンドに貢献できるものがほとんどなくなった」というベイカーによる自主的な脱退と伝えられていたが、後にベイカーの技量に疑問を持ったロブ・コリンズ、ブラントなどの判断による解雇であったことが判明している。


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