シャーマン・オバンドー
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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はオバンドー、第二姓(母方の)はガイノルです。

シャーマン・オバンドー
Sherman Obando基本情報
国籍 パナマ
出身地ボカス・デル・トロ県チャンギノラ
生年月日 (1970-01-23) 1970年1月23日(52歳)
身長
体重6' 7" =約200.7 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り1987年 アマチュア・フリーエージェントとしてニューヨーク・ヤンキースと契約
初出場MLB / 1993年4月10日
NPB / 1999年5月23日
最終出場MLB / 1997年7月21日
NPB / 2005年5月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


プリネルシクロ・デ・パナマ高校

ボルチモア・オリオールズ (1993, 1995)

モントリオール・エクスポズ (1996 - 1997)

オアハカ・ウォーリアーズ (1999)

日本ハムファイターズ (1999 - 2002)

メキシコシティ・レッドデビルズ (2003)

北海道日本ハムファイターズ (2004 - 2005)

国際大会
代表チーム パナマ代表
WBC2006年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

シャーマン・オマール・オバンドー・ガイノル(Sherman Omar Obando Gainor、1970年1月23日 - )は、パナマ[1]ボカス・デル・トロ県チャンギノラ出身の元プロ野球選手外野手指名打者)。右投右打。
経歴

1987年ニューヨーク・ヤンキースに入団。

1993年ボルチモア・オリオールズメジャー初昇格。

1996年モントリオール・エクスポズに移籍。

1999年はメキシカンリーグでプレーしていたが[2]、怪我をして長期間離脱していたナイジェル・ウィルソンの穴埋めとして日本ハムファイターズへ5月末に入団[1]打率.306、本塁打20、打点62を記録した。

2000年は30試合近く怪我で欠場したにもかかわらず、イチローに次ぐパ・リーグ2位の打率.332、本塁打30、打点101の大活躍でベストナイン外野手部門)に選出された。また、長打率はリーグ1位だった。

2001年の開幕第3戦目に自打球を左足に当て骨折、5月末に復帰するが、8月には胸椎椎間板症を発症し、復帰出来ないまま閉幕を迎えた。この年の出場は52試合にとどまったが、本塁打15、打点51の成績を残した。

2002年は自己最多の118試合に出場し本塁打26、打点68を記録するが、打率は規定打席にこそ到達するものの膝の怪我の影響で.263と本来の力を出し切れず、更にオフに怪我が悪化したこともあってこの年限りで日本ハムを退団した。2003年2月にはケビン・ミラー問題のあおりを受け、右の長距離打者を探していた中日ドラゴンズアレックス・オチョアとともに新外国人候補として獲得へ向けて調査していたが[3]、入団には至らなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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