シャンゼリゼ通り
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この項目では、パリ市内にある大通りについて説明しています。ツール・ド・フランスのゴール地点としてのシャンゼリゼ通りについては「シャンゼリゼ通り (ツール・ド・フランス)」をご覧ください。

パリ8区 シャンゼリゼ通り
Avenue des Champs-Elysees

コンコルド広場から見たシャンゼリゼ通り
位置
行政区8区
カルティエシャンゼリゼ地区、フォーブール=デュ=ルール地区
起点コンコルド広場
終点シャルル・ド・ゴール広場
全長・幅員等
全長1910 m
幅員70 m
沿革
創設1670年
命名1864年3月2日
旧称Grand-Cours
allee du Roule
avenue de Neuilly
番号
Ville de Paris ⇒1736
DGI1733
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度52分11秒 東経2度18分27秒 / 北緯48.8697度 東経2.3075度 / 48.8697; 2.3075エトワール凱旋門から臨むシャンゼリゼ通りコンコルド広場のルクソール・オベリスク越しに西のパリの歴史軸を臨んだ様子

シャンゼリゼ通り(シャンゼリゼどおり、フランス語: Avenue des Champs-Elysees、またはLes Champs-Elysees)は、フランスパリの市内北西部にある大通り

パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われている。『オー・シャンゼリゼ』という流行歌で日本でも広く知られるようになった。
概要

パリ市内北西部の第8区を横切る約3km、幅70mの大通りである。マロニエマロンの木)の並木道となっていて、東はオベリスクのあるコンコルド広場から、西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(旧エトワール広場)まで全長約3km続き、パリの観光スポットとなっている。この通りを延長すると、東のルーヴル宮から、ルーヴルのピラミッドカルーゼル凱旋門テュイルリー庭園オベリスク、凱旋門、そして西のラ・デファンス地区の「グランダルシュ」へと東西の長い直線を形成している。この直線をパリの歴史軸などと呼ぶ。

シャンゼリゼ通りはパリ中心部、東の1区方向へ行くにつれ微妙な下り坂になっており、下って行った先にはマリニー広場の緑地とマリニー劇場(フランス語版)、グラン・パレプティ・パレ等の建物がある。通り西方向から東方向にかけて、「カルティエ」や「ルイ・ヴィトン」本店、「ラコステ」旗艦店などフランスを代表する有名ブランド店、「ピエール・エルメ」、映画館キャバレーリド」、「ラデュレ」、その他カフェレストラン(そのうち最も有名なものは「フーケ(fr:Fouquet's)」)、香水の「セフォラ」や「ゲラン」本店などが立ち並ぶ。プジョールノーの自動車ショールームもあり、ルノーのショールーム内には「ラトリエ・ルノー・カフェ」がある。なお、シャンゼリゼ劇場はシャンゼリゼ通りにではなく、通り東方向のモンテーニュ通り(フランス語版)にある。

"Les Champs-Elysees"のElyseesとは、ギリシャ神話において有徳の人が死後に住む極楽浄土を意味するエリュシオン (: the Elysium, the Elysian Fields) のことである。シャンゼリゼ通りに面して、フランス大統領官邸であるエリゼ宮 (le palais de l'Elysee) があるが、これも同様の意味をもつ。

エリゼ宮の建物はシャンゼリゼ通りと並行するフォーブール=サントノレ通り(フランス語版)側にあるが、エリゼ宮の庭園がシャンゼリゼ通りの公園の部分に面して一体化している。
歴史ナポレオン3世即位直後となる1852年、シャンゼリゼ通りに建立されたナポレオン・ボナパルト手前からカルーゼル凱旋門テュイルリー宮殿、シャンゼリゼ通りの先のエトワール凱旋門(1860年、第二帝政期)パリ解放後となる1944年8月26日、シャンゼリゼ通りを行進するフランス陸軍。市民は"VIVE DE GAULLE"(シャルル・ド・ゴール万歳)の横断幕を掲げている

シャンゼリゼ通りは元々は、農園と市場であったが、1616年マリー・ド・メディシステュイルリー宮殿の庭園の軸を並木道で延伸したいと決めた。ヴェルサイユ宮殿の庭園なども手がけたル・ノートル(Le Notre)によって都市計画がなされた。

1716年後半頃には、ギヨーム・ド・リズムのパリの地図によると、現在のロンポワン(円形広場)の地点にある丸い池によって終点となっている、並木道の植わった「テュイルリー通り」によってテュイルリー庭園の中心軸が短く伸びた通りで農園と市場が分けられているのが分かる。すでにそのころ放射線状に延びた並木道が森と畑を通って川まで達していた。1724年には、テュイルリー庭園を貫通する軸とその通りはエトワール広場までさらにつながり延伸され、「シャンゼリゼ(エリュシオン・極楽浄土)」という園地がその通りに面して広がり、元々秩序立てて植林されていたところがすぐに茂みとなった。

東のほうでは、当時好まれず無視されていた「旧ルーヴル」(地図ではそう書かれていた[1])が建物に囲まれて存在していたが、まだその東西軸(パリの歴史軸)の一部にはなっていなかった。1724年の地図では、シャンゼリゼ大通りは新しく整備された「トゥルナン橋広場 (Place du Pont Tournant)」(すぐに「ルイ15世広場」と改名され、現在の「コンコルド広場」となる)から西へ延びている。

18世紀末の頃にはシャンゼリゼは流行の通りになっていた。両側の植え込みは正式の長方形の緑地帯をなすほど茂っていた。フォーブール・サントノレ通り沿いに建てられた家々の庭はさらに格調のある茂みを形作っていた。その最大のものがエリゼ宮である。建物の前面の半円型の部分がロンポワンの北端となっている。王妃マリー・アントワネットは友人達とここを流し、ルイ15世広場(現在のコンコルド広場)にある堂々たるオテル・ドゥ・クリヨン(fr、en)で音楽の授業を受けた。

現在のロンポワンからエトワール広場への通りは第一帝政時代に建設された。シャンゼリゼそのものは1828年に正式に市の資産となり歩道、泉、ガス灯などが作られた。


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