シャルロッテ・アルベルティーネ・エルネスティーネ・フォン・シュタイン(シャルト)(Charlotte Albertine Ernestine von Stein(Schardt) , 1742年12月25日 - 1827年1月6日)はドイツ・ヴァイマール公国のフォン・シュタイン男爵の妻であり、ヴァイマール時代のゲーテと親しかった人物。「(フォン)・シュタイン夫人」としても知られる。彼女の存在は、ゲーテのほかシラー、ヘルダーなど同時代のヴァイマルの文人たちに大きな影響を与えた。彼女自身も文人として知られていた。 彼女はヴァイマールの主馬頭、ヨハン・ヴィルヘルム・クリスティアン・フォン・シャルトとコンコルディア・エリーザベト・フォン・シャルトとの二番目の子供としてアイゼナハで生まれた。幼少期から教育を受け16歳でヴァイマールの宮廷女官になり、ヴァイマールのアンナ・アマーリア公妃の元で働く。1764年にヴァイマールの主馬頭、ゴットロープ・エルンスト・ヨジーアス・フリードリヒ・フォン・シュタイン
生涯
しかし、1788年にゲーテがイタリアから帰ってきた後は二人の関係は冷ややかなものになっていた。ゲーテとの関係回復にはしばらく時間がかかった。またこの頃にヴァイマールを訪れてきた大詩人・フリードリヒ・フォン・シラーを知り、シュタイン夫人はシラーの結婚にも一役を買った。シラーからも彼女の人間性は賞賛された。一方で1790年には自身の父が、1793年には夫であるシュタイン男爵がそれぞれ死去するなど不幸が襲った。相次ぐ死やゲーテとの関係解消などで当時孤立を感じていた彼女は1794年にその悲しみを悲劇「ディードー」(Dido)として書き下ろした。晩年はゲーテとの共通の友人でもある詩人のカール・ルートヴィヒ・クネーベルや医者で著述家のヨハン・ゲオルク・ツィマーマンなどと親しく交わった。老年になり身体的に衰えたものの、知的関心は持ち続けていたという。1827年に84歳で死去。
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