シャルル・ミシェル
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シャルル・ミシェル
Charles Michel

(2019年)
欧州理事会
第3代議長
任期2019年12月1日 – 現職
ベルギー
第69代首相
任期2014年10月11日2019年10月27日
国王フィリップ
内閣ミシェル内閣
ベルギー
開発協力大臣
任期2007年12月21日2011年2月14日
首相ヒー・フェルホフスタット
イヴ・ルテルム
ヘルマン・ファン・ロンパイ
イヴ・ルテルム
内閣第3次フェルホフスタット内閣
第1次ルテルム内閣
ファン・ロンパイ内閣
第2次ルテルム内閣

出生 (1975-12-21) 1975年12月21日(48歳)
ベルギー ナミュール[1]
政党改革運動
出身校ブリュッセル自由大学(ULB)
アムステルダム大学
前職弁護士
現職欧州理事会議長
配偶者アメリー・デルボードランギアン[2]
子女3人
親族ルイ・ミシェル([1]
マテュー・ミシェル(

シャルル・イヴ・ジャン・ギスレーヌ・ミシェル(フランス語: Charles Yves Jean Ghislaine Michel、1975年12月21日 - )は、ベルギー政治家。第3代欧州理事会議長を務めている。それ以前は首相を務めた。改革運動の所属である。
来歴
生い立ち

1975年12月21日にナミュールに誕生した。ルイ・ミシェル(フランス語版)とマルティーヌ・ミシェルの子。弟にマテュー・ミシェル(フランス語版)がいる。16歳の時に新たに設立されたジョドワーニュ青年自由改革派連合に加入する。まもなく会長となり[3]1992年から1999年まで務めた。1994年、18歳のとき、ブラバン・ワロン州議会選挙において、名簿最下位であったにもかかわらず4千票を獲得し、当選し州議会議員となった[1]。翌年には州議会副議長に選出されている。1998年にはブリュッセル自由大学及びアムステルダム大学において法学士の学位を取得した。フランス語・オランダ語・英語を操る。
政治家として

1999年にミシェルは代議院議員に当選し、ダイオキシン調査委員会に所属した。2000年には、ジャン=マリー・セヴラン(フランス語版)の後任として、ワロン地域政府の内務大臣に就任する。ミシェルは当時25歳で、ベルギー史上最年少の大臣となった。また、同年にはワーヴルの市議会議員に当選し、2004年には公営企業及び都市計画担当の助役となり、2年後の2006年には市長となった[4]2007年6月10日の連邦議会選挙(フランス語版)において、ミシェルはブラバン・ワロン州選挙区で42,088票を獲得し、代議院議員に再選された。また、2004年からは改革運動(MR)のスポークスマンも務めた。
大臣

2007年12月21日からミシェルは第3次フェルホフスタット内閣(フランス語版)、第1次ルテルム内閣(フランス語版)、ファン・ロンパイ内閣(フランス語版)および第2次ルテルム内閣(フランス語版)において、開発協力大臣を務めた(なお大臣在職中は、ワーヴル市長としての職権は停止された)。

2009年6月の地域議会選挙(フランス語版)における改革運動の敗北を受けて、ミシェルはディディエ・レンデルス(フランス語版)党首の辞任を求め、ウィリー・ボルシュ(フランス語版)やエルヴェ・ジャマール(フランス語版)[5]らとともに「ルネサンス」グループに参加した。2010年の連邦議会選挙(フランス語版)における更なる敗北を受け、レンデルスはついに党首を辞任し、ミシェルは党首選に立候補した[6]2011年1月28日、ミシェルは党首選に勝利し改革運動の党首に就任し[1][7]、続く2月14日には大臣職を辞任した。
首相

2014年5月25日の連邦議会選挙(フランス語版)後、6月25日にバルト・デ・ウェーフェル(フランス語版)による組閣が失敗に終わると、6月27日にミシェルはフィリップ国王によって情報提供者に任命され、次いで7月22日には、新政権樹立のため、クリス・ペーテルス(フランス語版)とともに組閣担当者に任命された。10月7日新フラームス同盟キリスト教民主フラームスフラームス自由民主改革運動の4党間で、中道右派による連立政権(「スウェーデン連立」あるいは中傷的に「カミカゼ連立」と呼ばれる[8][9])の樹立が合意され、ミシェルが首相として政権を率いることとなった[10]

続く10月11日にミシェルと閣僚らはフィリップ国王の前で就任宣誓を行った。ミシェル新首相は当時38歳で、戦後最年少の首相となった[11]。同月、ベトナムグエン・タン・ズン首相のベルギー訪問を受け会談した[12]

ミシェル政権は老齢年金の受給年齢の引き上げ・公共福祉予算の削減・企業の社会保険負担額の削減を提示しており、2014年11月にはこの政策に反対する労組を主体とした10万人を超えるデモも行われている。このデモの大部分は平穏に行われていたが、一部は暴徒化し警官隊の催涙ガス放水により鎮圧されている[13]。また、同年12月にはミシェルの地元であるナミュールで演説を行っている際に、政府の緊縮財政に反対する4人の女性からマヨネーズフライドポテトをミシェルに浴びせ非難する抗議が行われ、女性4人は警備員に取り押さえられている[14]

2015年5月に初めてとなる来日により[15]天皇皇后の招きによる懇談[16]、ペーテルス副首相と共に日本触媒の池田全徳社長と会談[17]安倍晋三首相との首脳会談を行った。


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