シャルル・ド・ゴール_(空母)
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シャルル・ド・ゴール

基本情報
建造所DCN海軍造船所
運用者 フランス海軍
艦種航空母艦原子力空母
前級クレマンソー級
次級PANG
建造費推定170億フラン(約26億ユーロ
母港トゥーロン
艦歴
発注1986年2月3日
起工1989年4月14日
進水1994年5月7日
就役2001年5月18日
要目
基準排水量37,680トン[1]
満載排水量43,182トン[1]
全長261.5 m[1]
水線長238 m[1]
最大幅64.4 m[1]
水線幅31.5 m[1]
吃水9.4 m[1]
主機蒸気タービン
原子炉K15加圧水型原子炉×2基
推進スクリュープロペラ×2軸
出力83,000馬力
速力最大27ノット
乗員

個艦要員1,400名

航空要員542名

兵装
20mm単装機関砲×8門

シルヴァーVLS(8セル)×4基
アスター15

ミストラル近SAM 6連装発射機×2基

搭載機#搭載機
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シャルル・ド・ゴール(フランス語: Porte-avions Charles de Gaulle, R 91) は、フランス海軍航空母艦。同海軍初の原子力水上艦にしてアメリカ海軍以外では唯一の原子力空母であり、2001年に就役した[1][2][3]

艦名は、第二次世界大戦中のフランス陸軍軍人、自由フランス指導者であり、戦後にフランスの大統領も務めたシャルル・ド・ゴールに由来する。
来歴
大戦とインドシナ戦争

フランス海軍は、第二次世界大戦前に既に「ベアルン」により空母の運用に着手していた。しかし初の新造空母として着工していた「ジョッフル」はナチス・ドイツのフランス侵攻によって未成艦に終わり、また「ベアルン」も既に陳腐化・老朽化が進んでいたため、大戦中の活動は活発ではなかった[4]

自由フランス海軍は1945年4月にアヴェンジャー級護衛空母ディクスミュード」、続いて1946年4月にはコロッサス級軽空母アローマンシュ」を取得して、艦隊航空戦力の再整備に着手した。これら2隻はインドシナ戦争で実戦投入されて、その意義を政府に印象づけた。この経験を踏まえて、アメリカ海軍からインディペンデンス級軽空母2隻(「ボア・ベロー」「ラファイエット」)の移管を受けるとともに、国産空母の計画がより一層推進されることになった[4]
クレマンソー級とその後継艦

そして念願の国産空母として、1960年代初頭に満載排水量32,700トンの中型空母クレマンソー級2隻が相次いで就役した[4]。また1970年代末からは、その後継艦についての研究が着手された[5]

当初は満載排水量20,000トン級の、垂直/短距離離着陸機を搭載するSTOVL空母3隻の整備が検討されたものの、そうした制約がある艦載機では速度や搭載量の点で要求に合致しないと判断され、クレマンソー級と同様にカタパルトなどを装備するCATOBAR空母へと方針転換された[5]。これらの検討を経て、1980年9月23日の国防会議において、政府はクレマンソー級の代艦として原子力空母2隻の建造を承認した。この1隻目の空母が本艦である[1][注 1]

当初計画では1992年の就役が予定されていたが、予算上の理由から、発注は1986年2月4日までずれ込み[6]、作業は1987年11月24日より着手された。この時点では1996年の就役が予定されていたが、1989年6月には、更に2年の遅延見込みが公表された。しかしその後も、更なる遅延が発生した[2]
設計
船体右舷側からの艦影

ブレスト海軍工廠ドックの収容能力の限界から、艦の大きさはクレマンソー級を大きく超えることがないように求められており、計画排水量は35,000トンとされた。ただし大型・大重量の艦上機を運用する必要から、アメリカ海軍式の幅広な飛行甲板が導入されており、船体には大掛かりなオーバーハングが付された[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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