シャフミアン地区
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ共和国)の行政区画について説明しています。アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の地区については「シャウミャノフスク地区」をご覧ください。

シャフミアン地区
?????????? ?????
Шаумянский район
地区
カルバチャル(2010年撮影)
1993年から2020年紛争までの領域
(紛争以降の支配地域は#都市の地図を参照)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度6分24.12秒 東経46度2分17.88秒 / 北緯40.1067000度 東経46.0383000度 / 40.1067000; 46.0383000
国家 アルツァフ共和国
設置1993年
実態を喪失2020年11月25日[1]
中心都市アクナバード(ロシア語版)(1993年[2] - 1998年[3]
カルバチャル(ロシア語版)(1999年[3] - 2020年[1]
政府
 ? 行政長官Sergey Chilingaryan[4]
面積[5]
 ? 合計1,829.8 km2
面積順位3位
人口(2020年1月1日)
 ? 合計3,300人
 ? 順位8位
 ? 密度1.8人/km2
 [6]
等時帯UTC+4 (アルメニア時間)
ウェブサイトgov.nkr.am/hy/regions/details/53/
面積・人口は2020年紛争以前のデータ。
シャフミアン地区の地図。左がカルバチャル地域、右がシャフミアン地域。

シャフミアン地区(シャフミアンちく、アルメニア語: ?????????? ?????、ロシア語: Шаумянский район)は、2023年9月に解散を表明した事実上の独立国家アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ共和国)の地区。1999年から2020年までの中心都市はカルバチャル(ロシア語版)(アゼルバイジャン語名キャルバジャル)[6]2020年ナゴルノ・カラバフ紛争停戦協定でカルバチャルを含むほぼ全域がアゼルバイジャンへ返還され[1]、チャラクダル(ロシア語版)やアクナバード(ロシア語版)などわずかな村落を残すのみとなっている。アルツァフ北西部に位置し、マルタケルト地区カシャタグ地区アルメニアと接していた[7]

シャフミアン地区は地理的・歴史的経緯からシャフミアン(ロシア語版)やゲタシェン(ロシア語版)がある地区北部と、カルバチャルやチャラクダルがある地区西部の2地域に大別できる。本稿では便宜上地区北部をシャフミアン地域、地区西部をカルバチャル地域と呼称する。

両地域ともアルツァフの前身にあたるナゴルノ・カラバフ自治州には属していない。シャフミアン地域はアルメニア人が多く居住し、アルツァフ建国の住民投票に参加した。地区名はシャフミアンに由来するが、アルツァフは1992年6月以降シャフミアン地域を実効支配しておらず、「アゼルバイジャンの占領地」として領有権を主張していた[8]。カルバチャル地域は元々アゼルバイジャン人が多く居住していたが、1993年にアルツァフが占領した。停戦後は実質カルバチャル地域だけで成り立っていたが、2020年紛争の停戦協定でほとんどをアゼルバイジャンへ返還した。だが名目上は廃止されていない。国際的にはシャフミアン地域がアゼルバイジャンのゴランボイ県(英語版)(シャフミアン)とギョイギョル県(英語版)(ゲタシェン)、カルバチャル地域がキャルバジャル県の一部とされている。

2020年紛争以前の面積は1,829.8平方キロメートル[5]、領有権を主張していたシャフミアン地域の面積は701平方キロメートル[8]。人口は3,300人[6]。人口はアルツァフの行政区画で最も少なく、総人口のわずか2%にすぎなかった。
歴史「シャウミャノフスク地区#沿革」も参照シャフミアン地域の拡大図。水色が旧シャウミャノフスク地区、紫色が旧ゲタシェン準地区

前身はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国シャウミャノフスク地区ナゴルノ・カラバフ自治州には属していなかったが、アルメニア人が多く居住していた。ナゴルノ・カラバフ戦争(第一次ナゴルノ・カラバフ戦争、1988年 - 1994年)中の1991年2月12日、アゼルバイジャン議会はシャウミャノフスク地区を廃し、アゼルバイジャン人が多数居住するカスム・イスマイロフ地区(アゼルバイジャン語版)(現在のゴランボイ県)へ編入を決定した[9]。続いて4月30日よりソ連軍とアゼルバイジャンの特殊部隊が合同で旧シャウミャノフスク地区とハンラル地区(アゼルバイジャン語版)(現在のギョイギョル県)に住むアルメニア人の排除を目的とした円環作戦(ロシア語版)を実施し、1万人以上のアルメニア人難民が発生した[10]

9月2日、旧シャウミャノフスク地区議会はナゴルノ・カラバフ自治州と共にアルツァフ共和国(当時はナゴルノ・カラバフ共和国)の建国を宣言した[11]。12月10日の住民投票には、同じくアルメニア人が多数居住するハンラル地区のゲタシェン準地区(ロシア語: Геташенского подрайона)も参加し、アルツァフへの加盟を表明した[11]。だがシャフミアン地域は1992年6月12日より始まったゴランボイ作戦(ロシア語版)でアゼルバイジャン軍の攻撃を受け、4日後には全域を失った[12]1993年3月27日、アルツァフを軍事的に支援しているアルメニア軍はアゼルバイジャンのキャルバジャル県を攻撃し、1993年4月2日には全域を占領した[13]。キャルバジャル県はシャフミアン地区とマルタケルト地区に分割された。

シャフミアン地域のアルメニア人はアゼルバイジャン軍の占領時に脱出し[12]、一方のカルバチャル地域のアゼルバイジャン人はアルメニア軍の占領時に脱出した[13]国際連合安全保障理事会は決議第822号でカルバチャル地域からの撤退を要求したが、決議に反して1999年以降アルメニア人の再定住が始まった[13]。またシャフミアン地区の行政府は創設時よりアクナバードに置かれていたが[2]、1999年にカルバチャルへ移転した[3]

2017年9月1日、地区内を横断するヴァルテニス(ロシア語版)・マルタケルト(ロシア語版)高速道路が開通した。アルメニアとアルツァフを結ぶ2番目の道路で、建設費用は両国政府と世界中のアルメニア人のディアスポラからの募金で賄われた[14]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef