シャドー・バンキング・システム
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地下銀行」とは異なります。

シャドー・バンキング・システムおよび影の銀行(: Shadow banking system)は、金融安定理事会(Financial Stability Board)によると、銀行部門による与信活動を除いた信用仲介活動の総称である[1]PIMCO取締役(Paul McCulley)により命名された。欧米の商業銀行が帳簿上の資産額を増やさずに稼げるよう開拓したビジネスモデルであり[2]世界金融危機の中心となった[3][4][5][6][7][8][9]
概要シャドーバンキングシステムと銀行による個人投資者と住宅ローンを例にした金融仲介の一例
複数の金融機関を経由して、シャドーバンキングはリスキーな満期変換を構造化している。図においてリテール証券会社とはミューチュアルファンドを指すが、米国外の機関投資家も市場へ資金を供給した。証券会社(投資銀行)とは、現在ブラックロックが世界最大で、傘下のヘッジファンドや上場投資信託も活躍する分野である。ここではソーシャルレンディング(いわゆるオルタナティブ・レンディング)も稼動している。住宅金融会社は日本でいうところの住専である。シャドーバンキングは多くの一般企業にも資金を供給している。

シャドー・バンキング・システムの主体は銀行を除いた機関投資家であるが、世界金融危機に発展するシステミック・リスクをつくったノンバンクが特に問題とされる。たとえば投資にレバレッジをかけすぎたヘッジファンド投資銀行である。そこへミューチュアル・ファンドが資金を供給し、また、証券会社証券化商品を提供した。ブラジルは銀行がシャドー・バンキングから多額を借り、オランダは銀行がシャドー・バンキングへ多額を貸しつけ、イギリスでは銀行とシャドー・バンクが互いに多額の融資を交換していた[10]

金融危機調査委員会、いわゆる新ペコラ委員会(Financial Crisis Inquiry Commission)は、シャドー・バンキングと危機の関係を精査のうえ[11]、巨大なシャドー・バンキング・システムが大銀行を短期借りへ依存させたが、それを制限していれば危機は避けられたという見解を示した[12]

このような議論を受け、ドッド・フランク法ボルカー・ルールが策定・実施された。2018年春から、前者は改正され、後者は連邦準備制度が主導する形で、規制緩和が進んでいる。

世界金融危機で問題化したシャドーバンクは、総体として、1960-70年代JPモルガンなどの大銀行を中核とする独占的な機関化をアメリカ世論から批判された構造からの歴史的連続性・同一性が認められる。

1980年代という機関投資家の隆盛期に、プルデンシャル・ファイナンシャルなどが預金保険をシャドー・バンキング・システムに適用せよと主張していた。日本は2013年に適用した[13]

「新サービス貿易協定」(Trade in Services Agreement)は、シャドー・バンキング・システムを拡大させるものとみられる[14]

レポ市場で債券のフェイルを防ぐため、シャドー・バンキング・システムは手数料を稼ぎたい清算銀行を中心に、ときとして債券を買い占める機関投資家を序列化し、同時に裾野を広げてきた。量的金融緩和政策で市中の債券が不足したこともシステムの成長に拍車をかけた。2015年以降は各国で売りオペ論が強まって(いわゆる出口戦略)、システムへ中央銀行が取り込まれようとしている。

2007年10月、バンク・オブ・ニューヨーク・メロン(BNYメロン)がゴールドマン・サックス・ジャパンと三井住友銀行(SMBC)から日本国債トライパーティー(Tri-Party)買い戻し条件付き合意のコラテラル・エージェントに選ばれた。証券の貸し手であるゴールドマン・サックスと借り手のSMBCを仲介する、担保取り扱い機関となったのである。日本の2社が国内で初めて日本国債レポ取引の履行にトライパーティー構成を利用した。BNYメロンの日本以外の顧客が行う、ストックローン、デリバティブ取引、株式を含む担保保証取引や、外国人保有の日本国債を含む確定利付きレポ借入は、トライパーティー構成で支援されることになった。[15]
分析

シャドー・バンキング・システムは自身の金融仲介機能を市場型間接金融であると主張する。これは預金保険を受けるための議論である。しかし、「大きすぎて潰せない(Too big to fail)」シャドー・バンキング・システムは機関化の結果である。その機関化をアメリカで批判されながら推進してきたのは大銀行である。大銀行は、シャドー・バンキングの直接金融性を知りながら、系列であるシャドー・バンキングの実態を間接金融へ近づけ、しかもシャドー・バンキングへ資金を供給してシステミック・リスクを共有した。これら自ら招いた状況を理由として、預金なみに保護せよと主張させるのである。

銀行とシャドー・バンキングは密接な取引関係にある。たとえば銀行はヘッジファンドの保有資産を管理し、取引を実行している。レポ取引の相方もつとめる。特にレポ貸出を回収できない場合、ファンドの経営難は銀行に連鎖する。[2]

シャドー・バンキング・システムは4つの仕組みを柱としている[16]

一つは国際通貨市場である。CHIPS国際銀行間通信協会、そしてユーロ市場が整備されると、コマーシャル・ペーパーマネー・マーケット・ファンド(MMF)、そして変動利付債の流通が促進された。間接金融ばなれは国際通貨市場から起こったのである。アジア通貨危機ロシア財政危機が起こっても、シャドー・バンキング・システムは成長した。それは短資の国際移動をたすけ、さらにMMF・証券化・店頭デリバティブをつかったレバレッジをかけ、即時グロス決済で国際銀行間取引市場を拡大した。[16]

危機までのMMFは預金並みに換金が容易であったが、リーマン・ショックのとき取り付けがおこった。MMFは日本でこそなじみが薄いが、欧米では身近で残高も大規模であった。MMFは危機の説明に不可欠な世界的観点である。MMFにとらわれず付言しておくと、リーマン・ブラザーズのシャドー・バンキングは野村証券バークレイズが承継した。

二つ目と三つ目はレポ取引と証券化である(OTD金融を参照)。MMF、ヘッジファンド、ファイナンス・カンパニーは、国際銀行ネットワークの手足となって、保有する資産担保証券の買戻し条件付売却(レポ借入)を行い資金を調達した。無担保のユーロ債クレジット・デフォルト・スワップで証券化された。


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