シャイアン(?ぞく、Cheyenne)とは、アメリカ合衆国のインディアン部族の一つ。ワイオミング州の州都シャイアンはシャイアン族に因んでいる。
ワイオミング周辺を領域とした「北シャイアン族」と、オクラホマ周辺を領域とした「南シャイアン族」の二大支族に分かれる。現在も同盟関係にあるダコタ・スー族が彼等を「わからぬ言葉を使う人」と呼んだのが訛ってシャイアンと呼ばれるようになった。彼等自身の自称は「我ら同胞」を意味する「Tsetsehestahese」、または「Dzitsi'stas」。 シャイアン族とスー族はブラックヒルズなどをめぐり敵対関係にあったが、後に北方シャイアンはダコタ・スー族と同盟関係になり、リトルビッグホーンの戦いではダコタ・ラコタのスー族と、同じく同盟関係にあったアラパホー族の連合軍が、カスター中佐率いる第七騎兵隊を壊滅させた。 1868年のアメリカ政府との「ララミー条約」で、シャイアン族全部族員はオクラホマの保留地に強制収用され、インディアン管理局によって狩猟を禁じられ、食料の配給をごまかされて飢餓に陥った。 1878年、南北シャイアン族のうち、北方シャイアン族のヴォーヘヘベ[注釈 1]酋長(ダル・ナイフ)とオコホモザーケタ[注釈 2]酋長(リトル・ウルフ)が、ワイオミングの故郷に向け絶望的な逃亡を行った。この逸話は映画『シャイアン』[注釈 3]の題材となった。彼らに続く者たちが本来のモンタナに保留地を認めさせ、現在、北方シャイアン族はモンタナに、南方シャイアン族はオクラホマに保留地を得ることとなった。 現在のワイオミング州からコロラド州までの平原地帯を領域とし、ティピーを使ってバッファローなど野生動物を追う、移動型の狩猟生活を営んでいた。バッファローが手に入らない時にはウサギなどを狩り、湖沼や川ではマス、カメを捕らえた。保存用のバッファローの肉はペミカンの材料となり、湖沼でとれるワイルドライスは煮物に用いられ、現在でも名物料理として残っている[2]。 言語学ではアルゴンキン語族に属する。スー族とシャイアンの例に漏れず、平原のインディアン部族はそれぞれ独自の言語を持っていて、会話が成立し難いため、平原の部族は独自の「指言葉(平原インディアン手話)」を発達させていた。言葉を口にせずとも、これで対話ができた。
歴史
部族の強制移住ヴォーヘヘベ酋長(ダル・ナイフ)
文化 シャイアン族の「太陽の踊り」(1909年)
著名人.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、シャイアン族に関連するメディアがあります。スミソニアン協会アメリカインディアン博物館の初代館長W・リチャード・ウェスト・ジュニア
ウッドン・レッグ Wooden Leg
ツー・ムーンズ (著名な北方シャイアンのチーフ、原語名:E?e'he ?hne?es?stse (″Ree Roman Nose″)または Ononevoo'xenehe 、M?s?havoo'xenehe (″Crazy Roman Nose″)
ブラック・ケトル (原語名:Moke-tav-a-to or Mo'ohtavetoo'o)
ローマン・ノーズ