シモン・ステヴィン
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シモン・ステヴィンステヴィンが考案した小数16世紀にステヴィンが製作した

シモン・ステヴィン(Simon Stevin、1548年 - 1620年)は、フランドル(現:ベルギーブルッヘ出身の数学者物理学者会計学者オランダ軍主計将校[注釈 1]

イタリア天文学者哲学者、物理学者であるガリレオ・ガリレイよりも早く落下の法則を発見し、また、ヨーロッパで初めて小数提唱したとして名高い。また、力の平行四辺形の法則の発見者としても名高い。
生涯・人物Oeuvres mathematiques, 1634

若い頃のことは詳しくわかっていないが1548年にアントン・ステヴィンの私生児としてブルッヘに生まれ、少年時代を母親の手ひとつで育てられていること、1577年時点で、生まれ故郷ブルッヘの財務局に勤めていることなどが知られている。その以前はアントワープで簿記会計の仕事についていたとされたり、1571年ごろから10年ものあいだポーランドプロシアノルウェーと各地を旅していたともされる。この説によって、アルバ公による宗教迫害が放浪の契機となったと考えられている。

ステヴィンが北オランダに住むようになってから以降の動向は記録により比較的はっきりしている。1581年にライデンに移住しており、地元のライデン大学に在籍。このころ工学分野に関する研究を精力的に行う。1584年には浚渫と排水システムについての考察を実証するべく、デルフト市の当局と交渉をおこない、オランダ議会からその考察に対する特許を与えられている。その後同地では数学家庭教師をしていた。

オランダ総督マウリッツと親しくなり[1]1592年運河水門に関する工事監督して認められて後に勤務した(後述)。1594年には要塞建設に関する本を出版、これによって要塞技術における第一人者としての地位を確立する。その後は財政監督官に任ぜられることになるが、以降は頻繁に防衛と航海に関する調査を委ねられた委員会に加わる。

1600年にはライデン大学工学部創設のための委員長となる。その技術学校ネーデルダウツェ・マティマティーク(Nederduytsche Mathematique)の組織化をはかる一方、教育ではラテン語ではなくフランドル語講義を行う規定をつくった[注釈 2]

1603年には、マウリッツの推薦により、オランダ陸軍主計総監となり、1620年に亡くなるまでその職に就いた。

1616年に結婚、四子をもうけ、ハーグに居を構えた。1649年に息子のヘンドリックによって編纂された民生問題についての本は、軍事と行政の問題に関する8つの論考のうち、都市構造についてと住宅とその付随部分の構造にする論については父シモンが生前出版に漕ぎ着けなられなかった文の一部である。
物理学

1586年には古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、天文学者、発明家アルキメデス研究を発展させ『吊り合いの原理(オランダ語版、英語版)(: De beghinselen der weeghconst)』を著した。これにはベクトル合成の理論、水圧について述べ、てこの原理証明数珠を用いた思考実験により永久運動の不可能と斜面の法則について証明して力の平行四辺形の法則の発見に至った。なお、『吊り合いの原理』の付録にはステヴィンが行った実験で、重さが10倍異なる2つの物体落下させるとほとんど同時に落下すると言う実験結果が示されている。

同年に『水の重さの原理(De Beghinselen des Waterwichts)』を著し、容器の形に関係なく水面地球球面と変わらずの平衡状態に関して力の法則を導いている。1588年、水力学における発明の実用化をめぐり、当時世界的に有名な法学者であるグロチウスの父、ヨハン・コルネッツ・デ・フロートと共同関係を結ぶ。彼らは新しく考察したシステムに従って既存の水車を数多く改良した。
数学

1585年に著した『十進法(オランダ語版、英語版)(: De Thiende, : La Disme)』で十進数による小数理論を提唱した。現在、19.178と表す小数を「19?1@7A8」のように表した。また、ステヴィンは他にも加算減算を表す+や-のように様々な記号を導入した。
簿記

1605年に『数学覚書(Wiskonstighe Ghedachtenissen)』を出版し、その中で年次期間損益計算書精算表について解説しており、会計史や簿記史において重要とされる。同書でステヴィンは、国家の財政管理にも複式簿記を導入することを提案している[2][3]


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