株式会社シマノ
SHIMANO INC.
本社工場
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 7309
株式会社シマノ(英: SHIMANO INC. )は、大阪府堺市堺区に本社を置く、自転車部品と釣具の製造を主要な事業とするアウトドアスポーツメーカーである。スポーツ自転車部品の世界最大手企業である[3]。TOPIX Large70の構成銘柄の一つ[4]。
創業の地の堺は、鍛冶屋の伝統を持ち、16世紀以来包丁と鉄砲の町として知られ、明治に入ってから自転車の部品や完成品の生産に業種転換し、日本の自転車産業の中心地となっていた。シマノは、堺の鉄工所職人だった創業者・島野庄三郎が28歳で創業した。島野は1921年にフリーホイールの生産にとりかかり、1939年にはシマノは工作機械200台、雇用人員200名を数える日本最大のフリーホイールメーカーとなった。その後、1960年代後半に米国や欧州で起こった巨大スポーツサイクルブームが追い風となり会社は成長した。
自転車部品と釣具の製造をその主要な事業とし、ロードバイク・マウンテンバイク・レース用自転車の機構部品としては世界最大である。取扱品目の性格上、従業員の自転車通勤も積極的に奨励している。
同社の消費財としての売上の多くを釣具が占めるため、一般には釣具メーカーとしての認識である。ただし、多くの売上は生産財としての自転車部品であり、自転車メーカーに販売されている。
かつては釣具以外の消費財としてゴルフ用品やスノーボードのビンディング・ブーツも製造販売していた。なお、ゴルフは2005年、スノーボードも2009年3月31日をもって終了した。
みどり会の会員企業であり三和グループに属している[5]と同時に大輪会の会員企業である[6]。
沿革
1921年 - 初代島野庄三郎が大阪府堺市にて堺セルロイド工場の跡地を借り島野鐵工所を創業。焼き入れ技術が劣りベアリングの品質が悪かった国産フリーホイールを、技術の改善と輸入ベアリングを用いて品質向上させ、製造を開始。
1940年 - 株式会社島野鉄工所となる。
1951年 - 商号を島野工業株式会社に変更。
1956年 - 外装式変速機の生産に着手。
1957年 - 内装3段変速機(3 SPEED HUB)の生産に着手。
1958年 - 2代目社長に島野尚三が社長に就任。
1965年 - アメリカ合衆国に事務所を構えた。
1970年 - 釣具事業部発足。島野山口株式会社(現・下関工場)完成。
1972年 - 大阪証券取引所2部上場。西ドイツ・デュッセルドルフにて「シマノヨーロッパ」を設立。
1973年 - 東京証券取引所・大阪証券取引所1部上場。シンガポールに初の海外工場を設立。
1991年 - 商号を株式会社シマノに改称。
1992年 - 3代目社長に島野敬三が就任。自転車博物館(2022年に新築移転し、シマノ自転車博物館となった)をオープン。
1995年 - 4代目社長に島野喜三が就任。
1997年 - スノーボード用品を扱うアクションスポーツ事業部発足。
1999年 - ゴルフ事業部発足。
2001年 - 5代目社長に島野容三が就任。
2005年 - ゴルフ用品事業から撤退。
2009年 - 3月末でスノーボード用品を扱う事業から撤退。ヨネックスに事業譲渡。
2021年 - 創業100年を迎え、ツール・ド・フランスのニュートラルサポートをすることが発表される[7][8]。6代目社長に島野泰三が就任。
2022年 - 6月1日、経済産業省により変速機の脱落の恐れを事由とした製品のリコールが公布される[9]。
生産拠点
日本国内
直営
本社(大阪府堺市)
本社工場は設計が芦原太郎建築事務所、施工が大林組・コーナン建設共同企業体、2015年3月竣工。第一種住居専用地域に近接しているため、電柱が地中化されるなど歩道や緑地整備にも配慮されている。ショールームのようなガラス張り職員駐輪場や緑量の多い駐車場など完成度の高い地域景観が評価され、2016年度大阪都市景観建築賞大阪府知事賞を受賞した[10]。
下関工場(山口県下関市)
子会社・関連会社
シマノ熊本株式会社(熊本県山鹿市)
釣り竿の生産
島野足立株式会社