シボレー・インパラ
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10代目モデル(2014-2020年)

シボレー・インパラ (Chevrolet Impala) は、ゼネラルモーターズ (GM) がシボレーブランドで販売している大型乗用車。現在、日本では正式発売されていない。

車名はウシ科偶蹄類の動物「インパラ」に由来する。

1958年?1964年モデルは、ローライダーと呼ばれるカスタムのベース車として日本アメリカで人気が高い。
歴史
初代(1958年)1958年型 ベルエア・インパラ

1958年型シボレーの最上級グレード「ベルエア」に「インパラ・スポーツ・パッケージ」という名のスペシャルパッケージが設定された。ボディタイプは2ドアハードトップクーペと2ドアコンバーチブルのみということから、1956年にクライスラーのブランドであるプリムスが当時の最高級フルサイズであった「ベルベディア」の「スポーツ・クーペ」モデルをベースにさらに高級化させ販売したスペシャリティー・2ドア・ハードトップ「フューリー」への対抗と考えられる。ベルエアとの相違点は3連テールランプ、ルーフ後端のエアアウトレット(ダミー)左右クォーターのエアダクト風モール等である。この1958年には、1957年まで下級グレードのフルサイズとして生産されていた「150」が「150」同様下級グレードのフルサイズであった「デルレイ」と統合されて消滅し、その結果、この年以降シボレーの最下級フルサイズは「デルレイ」のみの生産となった。また「150/デルレイ」より上、「ベルエア」より下の中級グレードのフルサイズとして生産されていた「210」は1957年を最後に消滅し、後継として1958年から「ビスケイン」が登場した。1957年のシボレーのフルサイズのラインナップは下から「150」「デルレイ」「210」「ベルエア」であったのに対し、1958年のフルサイズのラインナップ「デルレイ」「ビスケイン」「ベルエア」と大幅に変わった。
2代目 (1959年?1960年)1959年型 インパラ コンバーチブル

1959年から、インパラは2ドアのみではなく「4ドア・ピラーレス・ハードトップ」「4ドア・セダン」もラインナップされた。これでインパラはシボレーの最上級フルサイズとなり、ベルエアはその流れで少し低級化した。

1959年、最上級フルサイズが「ベルエア」から「インパラ」に変更されたため、1960年から中級フルサイズは「ビスケイン」から「ベルエア」に変更される。下級フルサイズは「デルレイ」から「ビスケイン」に変更される。これによって「デルレイ」は1959年を最後に消滅した。1959年のシボレーのフルサイズ・ラインナップは下から「デルレイ」「ビスケイン」「ベルエア」「インパラ」となる。2代目の特徴ある後ろ姿

1950年代の乗用車の造形デザインにおいて流行であった「テールフィン」スタイルは先代にも見られたが、この世代で最も顕著になり、中央で2分割された翼を広げた鳥のようなトランクは、この車種のこの世代のモデルであると一目でわかる特徴である。さらに、このモデルの派生車であるエルカミーノも、ピックアップトラックながらこの派手な意匠を受け継いでいる。直後に、急速に陳腐化の印象を持たれるようになったため、次の世代では面影があるものの大幅に抑えたものとなっている。
3代目 (1961年?1964年)1963年型 インパラ・4ドア
4代目 (1965年?1970年)1966年型 インパラ・SS

1957年に「ベルエア」に2ドアの「インパラ・パッケージ」が登場したのと同様、1965年のインパラに4ドアの「カプリス・パッケージ」が登場。インパラ以上に高級感のあるスペシャリティー・4ドアハードトップであった。この「カプリス・パッケージ」は1966年に2ドアも登場しに独立した。シボレーの最高級フルサイズは「カプリス」に変わったが、「インパラ」は「ベルエア」のように低級化はせずそれまでと同じように生産された。

1958年から1966年までの間にインパラは1300万台が生産され、1965年には年間100万台が売れた。1961年に登場したインパラSS(スーパースポーツ)がその牽引役となり、ノーマルのインパラに比べて次のようなチューニングが施された。

排気量348立方インチ(5.7リットル)V8エンジン(最高出力305, 340, 350馬力)

または排気量409立方インチ(6.7リットル)V8エンジン(最高出力425馬力)

強化スプリング&ショックアブソーバー

焼結合金製ブレーキライニング


インパラSS(1967年型)

5代目(1971?1976年)1972年型 インパラ

1971年にGMはその再設計されたフルサイズのB-ボディを導入、最大のフルサイズの車が発表された。しかし1970年代はアメリカ国内で自動車の見方に変化があり、それはインパラのような車に長く影響を及ぼした。1973年のエネルギー危機は劇的でガソリン価格は1973?1979年に2倍になった。自動車販売は1973年?1974年に20%急落し、そして歴史上初めてアメリカの自動車の年間走行距離は下落した。インパラの売上高は1975年には176,376台と過去最悪となった。1970年代、インパラには例えばダッシュボードに起きる大きなクラックなどの問題点があり、「Excellenceのマーク」にぴったりだとインパラのオーナーは揶揄した。また部分的にバンパーの防護物に対する規制が実施され、1973年から前部バンパーは5mphの衝撃に耐えることができなければならず、1974年には後部のバンパーも同じ標準を満たすことを要求された。このため1970年代フルサイズのシボレーはこれまでに最大のシボレー車となった。パワートレインは唯一V8エンジンであったが、エンジンサイズは350、400と454がラインナップした。1972年から始まって全てのエンジンは無鉛ガソリンで設計され、触媒コンバーターが1975年に装備された。なおコンバーチブル・モデルは1975年以後廃止された。
6代目(1977?1985年)1978年型 カプリス 2ドア

自動車市場が変化し、その要求に合わせて1977年、インパラを再設計した。新しいインパラは全長がより短く、背丈がより高くなって、小型化された。インパラのフレームは、1971年に発表され、B-ボディの生産ラインが閉鎖される1996年まで使用された。インパラは、より小型で、より軽く(1977年の小型のシェベルよりさえ軽い)、より経済的なフルサイズのアメリカ車の新しいイメージを打ち出した。そのより整ったデザインで、新しいインパラは、増加した頭上スペース、フット・スペースとトランク容量の増加を特徴とした。小型化されたモデルの製造は1976年大幅に増加した。そして、インパラは米国内の販売ナンバー1の地位に返り咲いた。だが、コンバーチブル・モデルは販売されなかった。エンジンのラインナップは1977年に狭くなり、I6エンジンがベースエンジンとなった。他のオプションは、267cidと305cid V8エンジンで、350cid V8エンジンは、数年間オプションで存在した。若干のインパラは、オールズモビルの350cid V8ディーゼルエンジンを搭載していた。


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