シプリアン・ンタリャミラ
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ブルンジ政治家シプリアン・ンタリャミラCyprien Ntaryamira
シプリアン・ンタリャミラ
生年月日 (1956-03-06) 1956年3月6日
出生地ブジュンブラ近郊県
没年月日 (1994-04-06) 1994年4月6日(38歳没)
死没地 ルワンダ キガリ
所属政党ブルンジ民主戦線
大統領
在任期間1994年2月5日 - 1994年4月6日
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シプリアン・ンタリャミラ(Cyprien Ntaryamira, 1956年3月6日 - 1994年4月6日)は、ブルンジ政治家大統領1994年2月5日 - 4月6日)。フツ
人物

ベルギーの国連信託統治ルアンダ=ウルンディブジュンブラ近郊県のムビンビ・コミューンのマゲヨ地区で生まれ、小学校を卒業後、1972年のフツの反乱後の虐殺時にルワンダに逃れた。1982年キガリルワンダ国立大学農学を修めた。この頃社会主義運動に参加し、翌年ブルンジに戻った。

農業関係の職に就いたがジャン=バティスト・バガザ政権時の1985年には一時政治犯とされた。1986年8月、ブルンジ民主戦線 (FRODEBU) の創設メンバーとして経済政策部長となる。バガサに代わったピエール・ブヨヤ1993年6月1日の選挙で少数派のツチ及び国民進歩連合 (UPRONA) からFRODEBUが政権を獲得し、国民統一政権として、メルシオル・ンダダイエがブルンジ初のフツ出身大統領となり、ツチでUPRONAのシルヴィ・キニギを首相とし、ンタリャミラは農業相に就任した。

ところが1993年10月にンダダイエ大統領がンゲゼ元内相らに暗殺され、ブルンジ内戦(英語版)(1993年 - 2008年)が再発した。軍による事態収拾後、国民議会によりFRODEBU-UPRONA 統一政権としてFRODEBU党員のンタリャミラが翌年2月に大統領に就任し、UPRONAのアナトール・カニェンキコを首相に任命した。だが大統領就任からわずか2ヶ月後、搭乗していた航空機が撃墜され隣国ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領と共に死亡した。後任の大統領代行には国民議会議長のシルヴェストル・ンティバントゥンガニャが選ばれた。
関連項目

ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件

ブルンジの大統領一覧

参考文献

佐藤章 (パイロット)「ブルンジにおける1993年体制の崩壊過程」『 ⇒現代アフリカの紛争を理解するためにアジア経済研究所 1998年

バルバラ・ヴィニョー「 ⇒新たなジェノサイドが懸念されるブルンジ情勢」『ル・モンド・ディプロマティーク』2004年10月号










ブルンジ大統領


ミシェル・ミコンベロ

ジャン=バティスト・バガザ

ピエール・ブヨヤ

メルシオル・ンダダイエ

フランソワ・ンゲゼ 1

シルヴィ・キニギ2

シプリアン・ンタリャミラ

シルヴェストル・ンティバントゥンガニャ

ピエール・ブヨヤ

ドミシアン・ンダイゼイエ

ピエール・ンクルンジザ

エヴァリステ・ヌダイシミエ

1 軍人 - 2 大統領代行
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