シブサワ・コウ
生誕襟川陽一
(1950-10-26) 1950年10月26日(73歳)
日本・栃木県足利市
別名フクザワ・エイジ
出身校慶應義塾大学商学部
職業プロデューサー
活動期間1978年 -
代表作『信長の野望シリーズ』
『三國志シリーズ』
『大航海時代シリーズ』
『Winning Postシリーズ』
身長185 cm (6 ft 1 in)
肩書き代表取締役社長
配偶者襟川恵子
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シブサワ・コウ(渋沢光)は、日本のコンピューターゲームメーカーのコーエーテクモゲームスのブランド・コーエー(旧・光栄)における『信長の野望』『三國志』各シリーズなど、数々の歴史シミュレーションゲームにクレジットされるプロデューサー。本項では、同様にコーエーのゲームにクレジットされる「フクザワ・エイジ」についても併せて記述する。
また、2016年(平成28年)4月1日にコーエーテクモゲームスの組織改編によって組織されたエンタテインメント事業部に属する5つのブランド別組織のうちの1つの名称ともなった[1]。 シブサワ・コウの名義は、東映の八手三郎、オフィス・ヘンミの葉村彰子、東映アニメーションの東堂いづみ、サンライズの矢立肇などと同様に、コーエー製作のゲームに共通してクレジットされる開発チーム全体を表すプロデューサー名である。この方式を提案したのは当時専務であった襟川恵子で、「イヴ・サンローランやセリーヌ、ディオールなどの著名な企業は、自分のファッションデザイナーとしての名前やブランド名を持って、ブランド名を前面に打ち出してビジネスを展開している」「開発したゲームソフトに責任を持つ」[2]という意味合いから、1983年の『信長の野望』にてはじめて名乗られた。 元々は、各タイトルの開発チーム(プロデューサー)を指していたため、雑誌や出版物の記事では、毎回別人がインタビューに答えていた。シブサワの経歴についても当初は「謎に包まれている」「余り表面に出ない」[3]としていた[4]。その後、光栄の創業者である襟川陽一が会長職を妻である襟川恵子に譲り、作品の開発に専念するようになると、2000年にPlayStation 2用ゲームソフト『決戦』発表時に、改めて襟川陽一個人のペンネームとされた。もっとも襟川が直接開発に参加していないタイトルにも、総合プロデューサーとして変わらずシブサワ・コウの名はクレジットされている。 由来は襟川陽一が尊敬する渋沢栄一から「シブサワ」+コーエーの旧社名・光栄の光から「コウ」、とされている[5]。また、身長は185cmとされてきたが、これは襟川陽一の実際の身長である。「「シブサワ・コウ」というプロデューサー名を付けたことは非常によかったですね。「襟川陽一」は知らなくても「シブサワ・コウ」は知っているというゲームファンの方も少なくありません。」「私の近い将来の夢は、経営者・襟川陽一の座を降りて、100%、シブサワ・コウとしてゲームを作り続けることです。」[6]と襟川陽一は述べる。
プロデューサー名としてのシブサワ・コウ
主なシブサワ・コウ