この項目では、キリスト教徒らが作成した黙示文学について説明しています。古代ローマ神殿に奉納されていた神託集については「シビュラの書」をご覧ください。
クマエのシビュラ(ドメニキーノ、1616年頃)。ボルゲーゼ美術館所蔵。
『シビュラの託宣』(シビュラのたくせん、ラテン語: Oracula Sibyllina)は、シビュラが語った神託をまとめたと主張するギリシア語の詩集である。重複分を除けば12巻分と8つの断片が現存している。
シビュラとは恍惚状態で神託を伝えた古代の巫女で、彼女たちの神託をまとめた書物としては、伝説的起源を持つ『シビュラの書』が有名である。しかし、『シビュラの託宣』はそれとは全く別のもので、『シビュラの書』の名声にあやかるかたちで紀元前140年以降少なくとも数世紀にわたり、ユダヤ教徒たちやキリスト教徒たちによって段階的にまとめられてきた偽書である[1]。そこに含まれる歴史的事件に関する予言の多くは、後述するように単なる事後予言に過ぎない。
この文献は部分的に旧約偽典や新約外典に含まれ[2][3]、古典時代の神話だけでなく、グノーシス主義、ギリシア語を話すユダヤ教徒たちの信仰 (Hellenistic Judaism
)、原始キリスト教などに関する貴重な情報源の一つとなっている。分類上は黙示文学に属し、散りばめられた詩句には、『ヨハネの黙示録』や他の黙示文学との類似性が指摘されているものもある[4]。『シビュラの託宣』はその題名が示すように、古代のシビュラ、そしてその著書とされた『シビュラの書』に仮託して作成されたものである。
シビュラニュルンベルク年代記(1493年)に見るティブルのシビュラ「シビュラ」も参照
シビュラ (Sibylla) とは、古代の地中海世界における巫女のことである。推測される起源は紀元前7世紀から前6世紀頃のイオニアだが[5]、最古の言及は紀元前5世紀のヘラクレイトスのものとされる[6]。エウリピデス、アリストファネス、プルタルコス、プラトンら、シビュラに言及した初期の思想家たちは常に単数で語っていたが、後には様々な場所に住むといわれるようになった[7][8]。タキトゥスは複数いる可能性を示し、パウサニアスは4人とした[8]。
ラクタンティウス (Lactantius
) はマルクス・テレンティウス・ウァロ(紀元前1世紀)からの引用として、10人のシビュラ、すなわちペルシアのシビュラ、リビアのシビュラ、デルポイのシビュラ、キメリアのシビュラ、エリュトライのシビュラ、サモスのシビュラ、クマエのシビュラ、ヘレスポントスのシビュラ、フリギアのシビュラ、ティブルのシビュラを挙げた[9]。ローマで最も尊ばれたのは、クマエとエリュトライのシビュラであった[7]。クマエのシビュラは、『シビュラの書』をローマに持ち込んだと伝えられ、ウェルギリウスの『牧歌』などでもその名が挙げられている(後述)。エリュトライのシビュラは、ラクタンティウスが現在『シビュラの託宣』の「断片」として知られる箇所から引用する際に、常に神託を述べた者として挙げていた[10]。
中世に重視されたのはエリュトライのシビュラとティブルのシビュラで[11]、後者は4世紀の成立ともいわれる『ティブルティナ・シビュラ』(ティブルのシビュラの託宣)などの予言書の作成にも結びついた。ただし、その文献は『シビュラの託宣』と直接的に繋がるものではない[12]。
なお、中世後期になるとエウロパのシビュラとアグリッパのシビュラを追加して、12人とする文献も現れた[13]。
『シビュラの書』タルクィニウス王に『シビュラの書』を売るクマエのシビュラ「シビュラの書」も参照
古代ローマにおいて『シビュラの書』として知られる文書があった。ハリカルナッソスのディオニュシオス、ウェルギリウス、ラクタンティウスなどは、元はギリシアないし小アジアに起源を持つとされるその文書が、クマエを経由してローマに持ち込まれた経緯を、以下のように伝えている。