シネマックス
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「シネマックス」はこの項目へ転送されています。アメリカ合衆国のケーブル放送チャンネル(CINEMAX)については「HBO」をご覧ください。

USシネマ株式会社
US Cinema Co., Ltd.種類株式会社
市場情報非上場
略称USシネマ
本社所在地 日本
260-0013
千葉県千葉市中央区中央3丁目8-8
設立1884年4月 創業
1953年9月 設立
業種サービス業
事業内容劇場の経営、不動産賃貸業
代表者臼井正人
資本金1,000万円
関係する人物臼井荘一 三代目社長
臼井日出男 元専務取締役
外部リンクhttps://www.uscinemas.jp/
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USシネマ株式会社(ユーエスシネマ)は、日本の映画興行会社である。

1884年(明治17年)に東京市深川区越中島に創業した老舗企業であり[1][2]、現在はシネマコンプレックスチェーン「USシネマ」(英語: US CINEMAS、旧名称はシネマックス)などの映画館の経営、不動産賃貸業を行なう事業持株会社である。傘下企業はホテル、飲食、ソーラー発電、マンション開発、航空機リース、広告代理店、海外不動産事業等を行っている[3]
歴史
年表

1884年(明治17年) - 臼井荘平
東京市深川区越中島で牡蠣灰製造を始める。

1896年(明治29年) - 臼井真三がセメント製造を始める。

1906年(明治39年) - 親族と共同で深川演芸館、永代館、千住演芸館を開館させ、個人事業として臼井興行部を始める。

1913年(大正2年)8月 - 千葉県千葉市蓮池地区に千葉演芸館を開館させる[1][2]

1945年(昭和20年) - 千葉演芸館を取り壊す[1]

1953年(昭和28年)9月 - 個人事業を株式会社化して千葉興行株式会社を設立[3]

1966年(昭和41年) - 臼井一世が4代目社長に就任する。

1994年(平成6年) - 千葉劇場を8階建てビルに建て替え、2階に千葉劇場を開館する。

1995年(平成7年) - 海外不動産事業に進出する。

1997年(平成9年)5月24日 - シネマックス千葉開館[4]シネマコンプレックス経営に進出。

2001年(平成13年) - ロイヤルリース株式会社を子会社として設立。

2005年(平成17年)12月10日 - シネマックスパルナ稲敷開館。

2007年(平成19年)9月8日 - シネマックスちはら台開館。

2007年(平成19年)12月22日 - シネマックス足利開館。

2008年(平成20年) - 臼井正人が5代目社長に就任する。

2009年(平成21年)2月27日 - シネマックス足利閉館。

2009年(平成21年)7月15日 - シネマックス鴻巣開館。

2011年(平成23年)1月14日 - シネマックス千葉閉館。

2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災に伴い、シネマックスちはら台(4月16日再開)、シネマックスパルナ稲敷(4月23日再開)、シネマックス鴻巣(12月15日閉館)が臨時休館。

2011年(平成23年)7月9日 - 日活東京テアトルより運営を引き継ぎ、シネマックス千葉ニュータウンが部分開館。

2011年(平成23年)12月15日 - シネマックス鴻巣閉館。

2011年(平成23年) - マンション開発事業に進出する。

2013年(平成25年)4月26日 - シネマックスつくば開館。

2013年(平成25年) - ソーラー発電事業に進出する。

2013年(平成25年) - ホテル事業に進出する。

2014年(平成26年)10月18日 - USシネマ木更津開館。

2015年(平成27年)6月26日 - シネマックス千葉ニュータウンをUSシネマ千葉ニュータウンに改称。

2015年(平成27年)11月28日 - シネコンをUSシネマに館名統一。シネマックスつくばをUSシネマつくばに改称、シネマックスちはら台をUSシネマちはら台に改称、シネマックスパルナ稲敷をUSシネマパルナ稲敷に改称。

2018年(平成30年) - 航空機リース事業に進出する。

2023年(令和5年)4月1日 - 千葉興行株式会社からUSシネマ株式会社に社名を変更する。

沿革

1906年(明治39年)、臼井真三が親族と共同で深川豊友館、永代館、千住演芸館を設立し、臼井家の個人事業として臼井興行部を創業した。1913年(大正2年)8月、千葉県千葉市吾妻町1225(蓮池地区)に活動写真常設館として千葉演芸館を開館させた。1927年(昭和2年)には臼井真三が死去し、臼井荘一が臼井興行部の経営を引き継いだ。

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)には千葉演芸館を取り壊したが、その後の同年6月10日には千葉市が千葉空襲を受けた[1]。戦後の1946年(昭和21年)頃には、復興した千葉演芸館を含めて、千葉県内の市川市船橋市銚子市等に8館の映画館を展開していた[1]。1948年(昭和23年)3月、関連会社として千葉復興を設立した[5]

1952年(昭和27年)、臼井荘一衆議院議員に当選した。同年には荘一の長男である臼井一世が臼井興行部に入社した[1]。1953年(昭和28年)9月、個人事業だった臼井興行部を株式会社化して千葉興行株式会社を設立し、臼井荘一の義弟である堀田愛夫が社長に就任した[3]

1957年(昭和32年)12月26日、千葉県興行環境衛生同業組合(現在の千葉県興行生活衛生同業組合)を設立して千葉興行本社内に置き、臼井荘一が組合長に就任した[広報 1][広報 2]。1966年(昭和41年)、臼井一世が4代目社長に就任した。1967年(昭和42年)1月には荘一の三男である臼井日出男が入社し、専務取締役に就任した。

1980年(昭和55年)6月、臼井日出夫は衆議院議員選挙に当選したことで、専務取締役を退任した[広報 3]。1981年(昭和56年)3月の参議院議員選挙補選によって、臼井荘一は参議院議員に当選した。

1994年(平成6年)、千葉市中央区中央の千葉劇場を建て替え、中央CIBビル内に千葉劇場を新装開館させた。1997年(平成9年)5月24日には、千葉市中央区富士見にシネマックス千葉を開館させ、シネマコンプレックス事業に乗り出した[4]。その後、5サイトのシネコンを開館させた。

2002年(平成14年)6月17日、千葉市美浜区ひび野の幕張新都心メッセ・アミューズ・モールをオープン、関連会社の千葉復興がこれを所有、テナントにセガの「クラブセガ幕張」、角川グループが経営するシネプレックス幕張が入居した[広報 4]

2004年(平成16年)10月13日、群馬県藤岡市にあるゴルフ場「ルーデンスカントリークラブ」を経営する群馬ルーデンスカントリークラブを傘下に収めた[広報 5]

2005年(平成17年)までは角川ヘラルド・ピクチャーズ(のちに合併して角川映画)の第5位の大株主であったが[広報 6]、同年6月には角川ヘラルドが角川グループホールディングスの100%子会社となったため、持ち株を手放している。

2008年(平成20年)11月、臼井正人が5代目代表取締役に就任した。2011年(平成23年)1月14日、千葉興行初のシネコンであるシネマックス千葉を閉館させた[広報 7]

2023年(令和5年)時点では臼井正人が千葉県興行生活衛生同業組合の組合長を務めている。
経営する映画館
営業中の映画館

USシネマパルナ稲敷(
茨城県稲敷市、ショッピングセンターパルナ隣接)<7スクリーン、1,086席、2005年12月10日開館、4DX導入>


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