シド・ミード
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シド・ミード
Syd Mead
シド・ミード(2007年)
本名シドニー・ジェイ・ミード
誕生日 (1933-07-18) 1933年7月18日
出生地アメリカ ミネソタ州 セントポール
死没年 (2019-12-30) 2019年12月30日(86歳没)[1]
死没地アメリカ カリフォルニア州 パサデナ[1]
国籍 アメリカ合衆国
芸術分野インダストリアルデザイン
イラストレーター
出身校アートセンター・スクール
ウェブサイト ⇒sydmead.com
活動期間1959年 - 2019年
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シドニー・ジェイ・ミード(Sydney Jay Mead、1933年7月18日 - 2019年12月30日[1])は、アメリカ工業デザイナーイラストレーターミネソタ州セントポール生まれ。

自らの肩書きを「ビジュアル・フューチャリスト(Visual futurist)」と称した。
略歴

バプテスト教会の牧師の息子としてミネソタ州で生まれ、幼少期より優れた画才を発揮する。1951年にハイスクールを卒業すると、コロラドスプリングスの映画製作会社アレキサンダー・フィルムズでアニメーターの職に就く。アメリカ陸軍で3年間の兵籍期間を終えると、フォード・モーターの奨学金支援を得て、ロサンゼルスのアートセンター・スクール(現在はパサデナアートセンター・カレッジ・オブ・デザイン)に入校し、トランスポーテーションデザインを専攻する。

1959年にアートセンター・スクールを優秀な成績で卒業。[2]奨学金を得ていた義務からフォードに入社し、エルウッド・エンゲル (Elwood Engel) の下でジャイロン (Ford Gyron) [注釈 1]など実験的なコンセプトカーのデザインに取り組む。2年後の1961年にフォードを退社すると、インダストリアルデザイナー、イラストレーターとして様々なクライアントのために働き、近未来的かつ色彩的なヴィジュアルを提供する。とりわけ、USスチールやセルコンなど企業カタログ・画集に掲載された一連の作品が有名である。

1970年にはデトロイトで「シド・ミード社(Syd Mead Inc.)」を設立。1970年代はヨーロッパでも活動し、オランダのフィリップス・エレクトロニクスとの関係が深い。ほかに自動車業界ではボルボイタルデザイン航空宇宙分野ではコンコルドNASAスカイラブのインテリアなど、手がけた仕事は幅広い。1975年にはオフィスをカリフォルニア州、カピストラノ・ビーチに移転。

1970年代末、『スターウォーズ』の世界的ヒットでSFX映画がブームになると、ハリウッドの映画製作者たちはミードのヴィジュアルセンスに注目した。中でも、ミードの才能が発揮されたのが、リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』(1982年)である。スコットはミードの個人画集『センチネル』に掲載された雨の中の高速道路「CITY ON WHEELS」を見てビークルデザイナーとして起用したが[3]、カラーイラストの背景の混沌としたトーンに魅了され、セットや小道具のデザインも依頼。さらに背景となる建築、都市の外観、列車や駅、コンピュータ等のインターフェースに至るまで、作品世界の基調を決める重要な仕事を任せた。他にも『スタートレック』『トロン』『2010年』『エイリアン2』『ショート・サーキット』などのSF映画に参加しており、ミードから影響を受けた作品も多い。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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