シドニー・ポラック
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シドニー・ポラック
Sydney Pollack
2006年
本名Sydney Irwin Pollack
生年月日 (1934-07-01) 1934年7月1日
没年月日 (2008-05-26) 2008年5月26日(73歳没)
出生地インディアナ州ラファイエット
死没地カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国
職業映画監督 映画製作者 脚本家 俳優
ジャンル映画 テレビ
活動期間1950年-2008年
主な作品
監督
いのちの紐
雨のニューオリンズ
ひとりぼっちの青春
大いなる勇者
追憶
ザ・ヤクザ
コンドル
出逢い
スクープ 悪意の不在
トッツィー
愛と哀しみの果て
ザ・ファーム 法律事務所
サブリナ
ランダム・ハーツ』製作
恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ
推定無罪
ボビー・フィッシャーを探して
いつか晴れた日に
リプリー
アイリス
愛の落日
コールド マウンテン
フィクサー
愛を読むひと
マーガレット』出演
夫たち、妻たち
アイズ ワイド シャット
フィクサー

 受賞
アカデミー賞
作品賞
1985年愛と哀しみの果て[注 1]
監督賞
1985年愛と哀しみの果て[注 1]
ベルリン国際映画祭
功労賞
1986年
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1982年トッツィー
エミー賞
作品賞(テレビ映画部門)
2008年『リカウント』
監督賞(ドラマシリーズ部門)
1966年『ボブ・ホープ・プレゼンツ クライスター劇場』
その他の賞

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シドニー・アーウィン・ポラック(Sydney Irwin Pollack, 1934年7月1日 - 2008年5月26日)は、アメリカ合衆国映画監督俳優映画プロデューサー
生涯

インディアナ州ラファイエットウクライナから移民したユダヤ系の家庭に生まれる[1]

俳優としてニューヨークネイバーフッド・プレイハウスで学び、俳優として活躍し、1955年2月にはクリストファー・フライ(英語版)(Christopher Fry)作《闇も明るく(英語版)》(The Dark Is Light Enough)の米初演でブロードウェイ・デビュー。終演後、テレビ界に移り、シリーズものにエピソード出演。しかし、1958年より約2年間兵役に就いた。

1959年にはテレビ出演を再開したが、1960年には友人のジョン・フランケンハイマーの依頼で、彼の監督作『明日なき十代』(The Young Savages)に出演する少年たちの台詞指導を担当。1961年よりテレビ・シリーズのをエピソード監督するようになる。

1965年、映画も監督するようになり、『ひとりぼっちの青春』、『追憶』、『トッツィー』で高い評価を得て、アカデミー賞にもノミネートされた。そして1985年の『愛と哀しみの果て』でアカデミー作品賞アカデミー監督賞を受賞[注 1]

アメリカ映画界に於いて永年に亘り俳優・監督・プロデューサーとして活躍した映画人。

2008年5月26日によりロサンゼルス市内の自宅にてその生涯を終えた。73歳没。

死後、プロデューサーとして関わった『愛を読むひと』で第81回アカデミー賞にてアカデミー作品賞にノミネートされた(共同でノミネートされたアンソニー・ミンゲラもこの授賞式の時にはすでに亡くなっており、故人二人でノミネートされる形となった)。
主な作品
長編映画監督作雨のニューオリンズ』(1966年)

いのちの紐 The Slender Thread (1965)

雨のニューオリンズ This Property Is Condemned (1966)

インディアン狩り The Scalphunters (1967)

大反撃 Castle Keep (1969)

ひとりぼっちの青春 They Shoot Horses, Don't They? (1969)

大いなる勇者 Jeremiah Johnson (1972)

追憶 The Way We Were (1973)

ザ・ヤクザ The Yakuza (1974)

コンドル Three Days of the Condor (1975)

ボビー・デアフィールド Bobby Deerfield (1977)

出逢い The Electric Horseman (1979)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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