シドニー・ベシェ
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シドニー・ベシェ
Sidney Bechet
シドニー・ベシェ(1922年)
基本情報
出生名Sidney Joseph Bechet
生誕 (1897-05-14) 1897年5月14日
出身地 アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (1959-05-14) 1959年5月14日(62歳没)
ジャンルニューオーリンズ・ジャズジャズディキシーランド・ジャズ
担当楽器ソプラノ・サックス、クラリネット
活動期間1908年 - 1957年
レーベルオーケー・レコード
ブルー・ノート・レコード
ヴォーグ
共同作業者ルイ・アームストロング
トミー・ラドニア

シドニー・ベシェ(Sidney Bechet、1897年5月14日 - 1959年5月14日)は、アメリカルイジアナ州ニューオーリンズ出身のジャズ・ミュージシャン。クラリネット奏者として活動を始め、ソプラノ・サックスも吹くようになる。ニューオーリンズ・ジャズの分野で活動。アメリカのオーケー・レコードブルーノート・レコードフランスのヴォーグ(Vogue)等のレーベルに録音を残した。フランスパリで死去。ルイ・アームストロングと並んで、ジャズ史上初の重要なソロイストの1人と評される[1]。ザ・ピーナッツやクリス・バーバーのジャズ・バンドでよく知られている『可愛い花』の作曲と、オリジナルの録音がシドニー・ベシェである。
生涯
出生?初録音

ニューオーリンズクレオールの家系に生まれた[1]。兄はトロンボーンクラリネットを習っていたが、ベシェは8歳の頃にクラリネットに強い興味を示し、兄からクラリネットを渡される[1]。ベシェは少年時代からニューオーリンズのトップ・バンドで演奏するほどの腕前になり、また、自分より2歳年上のジミー・ヌーンにクラリネットを教えていたこともある[2]。ニューオーリンズ時代には、ベシェはバンク・ジョンソン(英語版)率いるジ・イーグル・バンドで活動したこともあり、また、キング・オリヴァーとも共演した[1]。オリヴァーとは後にシカゴでも共演し[1]、ジョンソンとは1945年ブルーノート・レコードのレコーディングで再び共演している[3]

19歳になると、ベシェはニューオーリンズを出てピアニストのクラレンス・ウィリアムズと共にシカゴへ出た[1]

1919年、ベシェはウィル・マリオン・クックが率いるサザン・シンコペイテッド・オーケストラに参加してロンドンへ渡る[4]。そして、1921年2月にロンドンで行われた「ベニー・ペイトンズ・ジャズ・キングス」のレコーディングでクラリネットを担当するが、この時の録音は発表されていない[5]。そして、ベシェはこのようにアメリカを離れて活動していた頃、ソプラノ・サックスを吹き始めている[2][4]

アメリカへ帰国したベシェは、1923年1月にベッシー・スミスのバックでクラリネットとソプラノ・サックスを吹くが、この録音も未発表に終わる[5]。同年7月30日、ベシェは「クラレンス・ウィリアムズ・ブルース・ファイヴ」の録音に参加し、「Wild Cat Blues」と「Kansas City Man Blues」の2曲でソプラノ・サックスを演奏。これが、現存する限りではベシェの最も古い録音である[5]
アメリカやヨーロッパでの活動

このクラレンス・ウィリアムズ・ブルース・ファイヴの1924年の録音では、ベシェに加えてルイ・アームストロングも参加した[6]。また、ベシェはデューク・エリントンとも活動を共にしている[4]。その後はヨーロッパを回り、パリ、ロンドン、ベルリンソビエト連邦等で演奏した[4]

アメリカに戻ったベシェは、1932年に友人のトランペット奏者トミー・ラドニア(英語版)と共にザ・ニューオーリンズ・フィートウォーマーズというバンドを結成。ザ・ニューオーリンズ・フィートウォーマーズは、1938年12月23日にカーネギー・ホールジョン・ハモンドのプロデュースにより行われた「From Spirituals to Swing」というコンサートにも出演している[7]

1939年6月8日、ベシェはこの年に設立されたばかりのブルーノート・レコードでレコーディングを行い、ここでベシェが録音した「サマータイム」は、ブルーノートのレコードとしては初のヒット作になった[8]

1949年パリサル・プレイエルで行われたジャズ・フェスティヴァルに出演すると、ベシェの演奏はセンセーションを呼び起こし、それを機にベシェはフランスへ移った[2]。その後はフランスでの活動が主体となり、1950年代には"Petite Fleur"をレコーディングした。同曲は『可愛い花』としてザ・ピーナッツやクリス・バーバーズ・ジャズ・バンド、アッカー・ビルクらがカバーした。また、ピーナッツ・ハッコーは『小さな花』の題名で発表している。ベシェは、1953年8月にアメリカへ一時帰国した際、自身最後となるブルーノート・レコードでのレコーディングを行った[3]

1959年、62歳の誕生日である5月14日にパリで死去[2]。死因は肺癌であった[4]
ディコグラフィ
主なコンピレーション・アルバム

Sidney Bechet Jazz Classics Vol.1 (Blue Note 1201)

1939年から1946年にかけてブルーノート・レコードでレコーディングされた10曲を収録
[9]


Sidney Bechet Jazz Classics Vol.2 (Blue Note 1202)

1939年から1951年にかけてブルーノート・レコードでレコーディングされた10曲を収録[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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