シドニー・ウィックス
Sidney Wicks
引退
ポジションPF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1949-09-19) 1949年9月19日(74歳)
出身地カリフォルニア州ロサンゼルス
身長(現役時)203cm (6 ft 8 in)
体重(現役時)102kg (225 lb)
キャリア情報
出身UCLA
ドラフト1971年 2位
選手経歴
1971-1976
1976-1978
1978-1981ポートランド・トレイルブレイザーズ
ボストン・セルティックス
サンディエゴ・クリッパーズ
受賞歴
4×NBAオールスター:1972-1975
新人王:1972
オールルーキー1stチーム:1972
3×NCAAチャンピオン:1969-1971
NCAAトーナメントMVP:1970
2×ヘルムズ年間最優秀選手:1970, 1971
オールアメリカン
1stチーム:1971
2ndチーム:1970
No. 35 UCLA永久欠番
Stats
シドニー・ウィックス (Sidney Wicks, 1949年9月19日 - ) は1970年代のプロリーグNBAで活躍したアフリカ系アメリカ人の元バスケットボール選手。カリフォルニア州ロサンゼルス出身、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)卒業。ポジションはパワーフォワード、身長203cm、体重102kg。
UCLAの伝説的なNCAAトーナメント七連覇時代中期の中心選手として3回の優勝に貢献した後、1971年のNBAドラフトで全体2位指名を受けてポートランド・トレイルブレイザーズに入団、新人王に輝く。10シーズンプレイした後、1981年に引退。 アレクサンダー・ハミルトン高校卒業後、地元UCLAへの進学を希望していたシドニー・ウィックスだったが、学力が足りなかったため、1年間サンタモニカカレッジに通い、1968-69シーズンからUCLAのバスケットボールチームに参加した。ルー・アルシンダー(後のカリーム・アブドゥル=ジャバー)擁するUCLAは前年のNCAAトーナメントを制覇しており、この年のトーナメントも優勝する。ベンチスタートのウィックスは平均7.5得点をあげたが、殆どの関係者がウィックスが有望な選手だとは思っていなかった。しかし名将ジョン・ウッデンだけは彼の秀でたアスレチック能力を見出し、積極的に彼を起用した。1969年の優勝を最後にアルシンダーは大学を卒業。多くの人々は大スターの居ないUCLAの三連覇を否定したが、ウィックスがアルシンダーの穴を埋める活躍を見せ、1969-70シーズンは18.6得点11.9リバウンドの成績を残した。UCLAは周囲の予想に反してトーナメントを勝ち抜き、決勝でジャクソンビル大学 UCLAを卒業したウィックスは1971年のNBAドラフト ブレイザーズでのNBAデビューから4シーズン連続で平均20得点以上を記録してきたウィックスだが(ブレイザーズでの5シーズンの成績は22.3得点10.3リバウンド)、ルーキーシーズンを頂点に成績は少しずつ下降線を辿っていた。そしてセルティックスへの移籍を機に成績はさらに下がり、そして1978-79シーズンにサンディエゴ・クリッパーズに移籍すると平均得点はついに二桁を割った。ウィックスはそのままフェードアウトする形となってしまい、1980-81シーズンを最後に現役から引退した。 NBA10シーズンの成績は760試合の出場で、通算12,803得点6,620リバウンド2,437アシスト、平均16.8得点8.7リバウンド3.2アシストだった。 NBAを去った後の1年間をイタリアで過ごしたウィックスは母校のUCLAに戻り、ウォルト・ハザードの下で4年間アシスタント・コーチを務め、その後は不動産業に携わった。
UCLA時代
NBAキャリア
ポートランド・トレイルブレイザーズ
ブレイザーズ退団後
引退後・業績など
主な業績
NCAAトーナメント優勝 (1969, 1970, 1971)
NBAルーキー・オブ・ザ・イヤー (1972)
NBAオールスターゲーム (1972?1975)
ポートランド・トレイルブレイザーズの1試合27リバウンドというチーム記録を保持。また2009年現在通算4,086リバウンドはチーム歴代5位、通算8,882得点は歴代9位となっている。
外部リンク
選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference
⇒Basketball-Reference (英語)