シティ・ポップ
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シティ・ポップ
シティ・ポップの代表的な表象
都市海辺[1]
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ニューミュージック[2]

AOR[3][4]

湘南サウンド

ポップ[5]

ディスコ[5]

ファンク[5]

R&B[5]

ブギー[5]

ジャズ[5]

フュージョン[5]

ラテン[5]

ソフトロック[6]

クロスオーヴァー[4]

ロック[7]

ソウル[7]

ボサノヴァ[7]

文化的起源

1970年代[8]

日本[9][8]

派生ジャンル

渋谷系

ヴェイパーウェイヴ

フューチャーファンク

ネオ・シティ・ポップ

関連項目
ヨット・ロック(英語版)、J-POP
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シティ・ポップ (city pop) は、1970年代後半から1980年代にかけて日本で制作され流行した[9]ニューミュージックの中でも[10]欧米の音楽の影響を受け洋楽志向の都会的に洗練された[11]メロディや歌詞を持つポピュラー音楽のジャンル[12][13][14][15]。シティ・ポップの主要なアーティストの多くがシンガーソングライターである[13]
概要

ロックフォークの日本版ハイブリッドといえるニューミュージックを母胎とする点で[2]、シティ・ポップは洋楽(特にアメリカ音楽[16])の日本独自なアレンジという側面を持つ[9]。決まったスタイルのサウンドは無く[9]、「明確な定義は無い[11]」「定義は曖昧[17][18]」「ジャンルよりもムードを指す[2]」とされることもある。シティ・ポップにおける大事な要素としては、「都会的」で「洗練された」音楽であるという点が挙げられる[19]。もっぱら日本語で歌われていた点も主な特徴である[2]

「シティ・ポップ」は商業的な便益のために後付けされた用語[3]であり、制作過程ではシティ・ポップを想定していない場合もあるため、当時のミュージシャンの制作意図などを説明する場合には用語の使用に注意が必要である。
歴史
1970年代

昭和51年(1976年)発売のテリー・メルチャーのセカンド・アルバム『ロイヤル・フラッシュ』の宣伝のキャッチ・フレーズに「芳醇な〈メキシカン・カントリー・ハリウッド〉シティ・ポップ!!」とあり[20]、日本のレコード会社が都会的な雰囲気のある国内外の曲やアルバムを紹介する宣伝文句として「シティ・ポップ」という語を使いはじめた。

また、昭和52年(1977年)5月25日にリリースした日暮しのシングル『オレンジ色の電車』の広告文句に「シティ・ポップス」という語が使われている[21]。また、同年10月25日にリリースされた惣領智子のアルバムの帯にも「シティ・ポップス期待のシンガー」の惹句が使われている[22]

1977年7月には、音楽雑誌『レコード芸術』の記事で、吉田美奈子来生たかお山下達郎深町純グループ、四人囃子大橋純子美乃家セントラル・ステイション)らを「シティ・ポップス」の音楽家として紹介する記事があり[23]、一音楽ジャンルを指す名称として「シティ・ポップ(ス)」という語が使われはじめたことが確認できる。

また、エリック・カルメンを「ニューヨークのシティ・ポップ風」と評したり[24]、来日したアレッシー・ブラザーズを「アメリカン・シティ・ポップス」の担い手と評した音楽雑誌や芸能雑誌もあった[25]

このように、シティ・ポップ(ス)は都会的で洗練された雰囲気をもつ音楽(必ずしも日本と限らない)の宣伝文句や批評として、主にレコード会社や音楽雑誌編集部が1970年代後半から使いはじめた和製英語である。その用法は厳密ではなく、今日から見るとシティ・ポップよりもむしろフォークに分類される曲や音楽家に使われることもあった。

当時はシティ・ポップよりもシティ・ポップスのほうがよく使われていた。また似た言葉で「シティ・ミュージック」という語も使われていた。シュガー・ベイブやその解散後、メンバーだった大貫妙子や山下達郎を紹介する記事にシティ・ミュージックの語が使われている[26]。ほかにも南佳孝荒井由実、吉田美奈子、矢野顕子にシティ・ミュージックが使われている[27]

シティ・ポップの起源について統一した見解は得られていない。音楽評論家の木村ユタカはシティ・ポップ(ス)を「ジャパニーズ・シティ・ポップ」と再定義して、その起源をはっぴいえんど(1969年 - 1972年)とした[28]。またシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』(1975年)もシティ・ポップの嚆矢と言われることが多い[29][30]。一方で、上述したようにシティ・ポップ(ス)の語は彼らの活動時期にはまだ使われていないか、普及していなかったため、はっぴいえんどやシュガー・ベイブをシティ・ポップの起源とする説に対して批判的な見解もある[31]

1960年代後半から現れた自作自演のフォークロックのうち[18]演奏アレンジに凝った楽曲が1970年代になると「ニューミュージック」とカテゴライズされ、従来の楽曲との差別化が図られたが[3]、その枠組みは次第に拡散して曖昧となった[18]。そのため「洗練された都会的なニューミュージック」を他と一線を画するために作られたのが「シティ・ポップ」というカテゴリである[18]

シュガー・ベイブのアルバムを起点とし、その後に活躍した大瀧詠一山下達郎吉田美奈子荒井由実竹内まりや大貫妙子南佳孝山本達彦などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる[32]。なお、シュガー・ベイブに限らず、シティ・ポップの主要アーティストはほとんどが東京出身者もしくは東京を拠点に活動した者たちだった[13]。従ってシティ・ポップで歌われる「シティ」とは高度経済成長を経た「現代の東京」であり[13]、それもリアリズムから一歩引いた、広告都市的な消費の街というフィクション性を多分に含んでいた[29]。そうした「シティ」における、お洒落なライフスタイルや都会の風景、時には都市生活者ならではの孤独感や哀愁を[33]、良いメロディと洒落たコードに乗せて歌い上げたのがシティ・ポップだった[34]

シティ・ポップが成立した背景には、日本人の生活水準の向上と、変動相場制導入と円高による海外の文物の流入、いわば東京の国際都市化という社会的変化があり[4]、シティ・ポップの盛衰は日本経済の盛衰と重なるところが多い[35]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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