シティナイトライン (City Night Line) は、2016年12月までドイツを中心にヨーロッパで運行されていた寝台列車であり、また、それを運営していた鉄道会社の名称である。略称はCNL。1998年末以降は列車の運行はドイツ鉄道グループのDBアウトツーク(英語版)が行い、2010年に運行以外の事業もすべて移管した[1]。さらに2013年9月にはDBフェルンフェアケーア (DB Fernverkehr) へ統合され、運営されていた。
2007年12月改正の夜行列車再編までは"CityNightLine"と表記されていた。トーマス・クック社発行の『European Rail Timetable』の列車種別の説明では、再編以前はCityNightLineと表記し、2007年12月号以降はCity Night Lineとされている。2007年12月号ではCity Night LineはCityNightLine, NachtZug, UrlaubsExpressを統合したブランドであると説明されている。ただし2007年以前でもCity Night Lineと表記されている例もある[2]。
個室寝台車・簡易寝台車(クシェット車)・食堂車などからなり、シティホテル並みの内装とサービスを提供する列車である個室寝台車には、個室内に洗面台のほかトイレ・シャワーも備えるデラックスと、洗面台は備えるがシャワーなどがなく安価なエコノミー(運行開始時はコンフォート (Comfort)[2])があった[3]。もっとも、再編以降は必ずしもすべての列車で同じサービスが享受できるわけではなくなった。食堂車の全区間不連結はその最たる例である。 企業としてのシティナイトライン社の前身は1992年に設立されたDACHホテルツーク(DACH Hotelzug AG, DACHホテル列車株式会社の意)である。ドイツ連邦鉄道(旧西ドイツ国鉄、1994年からはドイツ鉄道)、オーストリア連邦鉄道(オーストリア国鉄)、スイス連邦鉄道(スイス国鉄)の3社の出資で、本社はチューリッヒにおかれた。社名のDACHとはドイツ (Deutschland)、オーストリア (Austria)、スイス (Confoederatio Helvetica) の頭文字を合わせたものである[4]。 1995年5月28日のダイヤ改正から、それまでユーロナイトであった「ドナウ・クーリアー」(Donau Kurier, ケルン - ウィーン)と「ヴィーナー・ヴァルツァー」(チューリッヒ - ウィーン)の2往復がDACH社の運行するシティナイトラインとなった。このときのシティナイトラインは個室寝台車と"sleeperette"と呼ばれるリクライニングシートを備えた座席車、食堂車のみの編成で、簡易寝台(クシェット)車は連結されていなかった[5][6]。 同年9月24日には「コメート」(Komet, チューリッヒ - ハンブルク)が加わり、その後もドイツとスイスを中心に多くの国際夜行列車がシティナイトラインとなった[4][7]。 一方で、1996年にオーストリア連邦鉄道はDACH社への出資を取りやめ、同年9月29日からヴィーナー・ヴァルツァーはユーロナイトに戻った。1997年には社名をシティナイトラインCNL株式会社 (CityNightLine CNL AG) に変更した。1999年にはスイス連邦鉄道も出資を取りやめたため、シティナイトライン社はドイツ鉄道の100%子会社となった。ただし本社はチューリッヒにおかれたままであった[8][4]。 1999年から一部の列車にドイツ鉄道から購入した簡易寝台車が連結されるようになった。2001年からは荷物車に自転車を積み込むサービスを始めた[5]。 2002年にはオランダのアムステルダムへ乗り入れ、2006年にはデンマークのコペンハーゲンへも乗り入れた。また2004年にはミュンヘン - ドレスデン間の「オリオン」(Orion) が国内列車としては初めてシティナイトラインとなっている[5]。 2007年12月9日のダイヤ改正から、DBアウトツークの運行していた夜行列車であるDBナハトツーク (NachtZug, NZ) と、季節夜行列車のウアラウプスエクスプレス(UrlaubsExpress: UEx,「休暇急行」の意)がシティナイトラインに統合された。これによりシティナイトラインの走る国はドイツ、スイス、オーストリア、オランダ、デンマークにフランス、ベルギー、イタリア、チェコを加えた9か国となった[9]。ただしチェコ国内においてはユーロナイトとして扱われた[10]。 2008年12月ダイヤ改正でいくつかのシティナイトラインが廃止され、また季節により週3往復に減便されるものも現れた。
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