広島駅南口再開発計画(ひろしまえきみなみぐちさいかいはつけいかく)では、広島県広島市南区松原町の西日本旅客鉄道(JR西日本)広島駅南口駅前周辺に於ける市街地再開発事業について記述する。 広島駅南口駅前広場と猿猴川に挟まれた広島市南区松原町・猿猴橋町・荒神町の一帯は第二次世界大戦後に闇市が展開され、広島市への原子爆弾投下からいち早く復興した地域ではあるが、市中心部である紙屋町・八丁堀地区(中区)が中心業務地区として土地の高度利用や商業・業務機能の集中、交通拠点の整備が行われる一方で、戦後復興時に建設された老朽木造低層家屋が密集し、土地利用状況も細分化され、都市機能上・都市景観上の整備が十分図られていない状況となっていた[1]。 これを受けて、1981年(昭和56年)3月に、広島駅表口周辺地区市街地再開発事業基本計画[注釈 1]が立案され[2]、この一帯を以下の3つのブロックに分けて市街地再開発事業が行われることになった。 各ブロックでは地権者が中心となって市街地再開発組合が結成され、これらが事業主体となって再開発ビルが建設され、以下のビルが完成した。
概要
Aブロック:駅前広場南、駅前通り西側
Bブロック:駅前広場南、駅前通り東側
Cブロック:駅前広場東、大州通り北側
Aブロック:エールエールA館 - 1999年(平成11年)開館
Bブロック:シティタワー広島(商業施設:BIG FRONTひろしま) - 2016年(平成28年)開館
Cブロック:グランクロスタワー広島(商業施設:EKICITY HIROSHIMA) - 2017年(平成29年)開館
沿革
1981年(昭和56年)
3月 - 広島市が広島駅表口周辺地区市街地再開発事業基本計画を策定。
5月 - Bブロック地区再開発準備組合が事業開始[2]。
1982年(昭和57年)3月 - Aブロック再開発準備組合設立[1]。
1987年(昭和62年)12月 - Aブロックの核テナントが福屋に、Bブロックの核テナントが西武百貨店と藤田観光運営のホテルに決定した[2]。
Aブロックでは一部の地権者が三越を支持した事で分断店舗になる可能性もあったが、1989年(平成元年)2月に福屋に一本化することで合意した[1]。
西武・藤田観光は後に覚書を解除して出店を撤回した[2]。
1988年(昭和63年)11月 - 広島駅南口開発株式会社設立[1]。
1989年(平成元年)4月 - Aブロックの事業推進業者が大林組・竹中工務店に決定[1]。
1994年(平成6年)5月 - 福屋が広島駅南口開発株式会社と覚書を締結[1]。
1996年(平成8年)
8月 - Aブロックの地権者が仮設店舗に移転[1]。
10月 - エールエールA館の建設開始[1]。
12月 - Bブロックの核テナントがJALホテルズに決定。その後建設計画の見直しに伴い基本合意書が解除された。
1999年(平成11年)4月20日 - エールエールA館が開館[3]。
2000年(平成12年)4月 - Bブロックの建設計画を抜本的に見直すことが再開発準備組合の総会で決定[2]。
2001年(平成13年)10月 - Bブロック、核テナントの誘致を断念して、複数のテナントを入れるテナントミックスに方針転換。
2004年(平成16年)9月 - Cブロック市街地再開発準備組合が設立。
2006年(平成18年) - 住友不動産がBブロックの事業再構築パートナーとなり、地上185m、52階建ての高層ビルを建設する方針を承認。
2008年(平成20年)4月 - Cブロック事業者を森ビル都市企画等に決定。
2009年(平成21年)3月 - 「森ビル都市企画グループ」がCブロックの施設計画案を発表。
2010年(平成22年)10月 - Cブロック市街地再開発準備組合が広島市に対し、都市再生特別措置法に基づく第一種市街地再開発事業と都市再生特別地区の都市計画提案を提出。
2011年(平成23年)