シッピングポート原子力発電所
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シッピングポート原子力発電所
シッピングポート原子力発電所はアメリカ合衆国で最初に建設されたフル規格の加圧水型原子炉がある原子力発電所である
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アメリカ合衆国
所在地ペンシルベニア州 ビーバー郡シッピングポート
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度37分16秒 西経80度26分07秒 / 北緯40.62111度 西経80.43528度 / 40.62111; -80.43528 (シッピングポート原子力発電所)座標: 北緯40度37分16秒 西経80度26分07秒 / 北緯40.62111度 西経80.43528度 / 40.62111; -80.43528 (シッピングポート原子力発電所)
現況運転終了
着工1954年9月6日
運転開始1958年5月26日
運転終了1989年12月[1]
建設費7,250万 USドル
運営者Duquesne Light Company

原子炉
運転終了1 x 60 MWe (68 MLWth)
種類加圧水型原子炉
原子炉製造元Naval Reactors, ウェスティングハウス・エレクトリック
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シッピングポート原子力発電所(シッピングポートげんしりょくはつでんしょ、英語:Shippingport Atomic Power Station)は、ピッツバーグから直線距離で約40kmのペンシルベニア州オハイオ川沿岸に位置していた原子力発電所。現在ビーバー・バレー原子力発電所(英語版)が立地している付近にあった。アメリカ合衆国原子力規制委員会によれば、平和的な目的で建設された世界初のフルスケール原子力発電所である[注釈 1][注釈 2][2]

1957年12月2日に臨界に達し、3回の炉心交換時の停止を除き、1982年10月まで稼働し続けた。1957年12月18日に初めて発電し、デュケイン・ライト・カンパニー(英語版)の送電網と同期された[3]

シッピングポート原子力発電所の最初の炉心は、中止された原子力空母に由来し[4]、「シード」燃料となる高濃縮ウラン (93% U-235[5][6])が天然のU-238の「ブランケット」で囲まれたいわゆるシード・ブランケット炉心というものであり、出力の約半分がシードから得られていた[6]。シッピングポートの最初の炉心は、起動から1か月後には60 MWeの出力を出すことができるようになった[7]。2番目の炉心は似たような設計だが、より大きなシードを持ち高出力なものであった[6]。これら2つの炉心では多くのエネルギーを持っているシードはブランケットよりも頻繁に交換しなければならなかった[6]

シッピングポートで最後に使われた3番目の炉心は、実験的な軽水減速熱中性子増殖炉であった。これもシード・ブランケット炉心だが、シードはU-233で、ブランケットはトリウムで作られていた[8]。この増殖炉は、燃料サイクルの中で比較的安価なトリウムをウラン233に変換することができた[9]。シッピングポートの3番目の炉心で達成された増殖率は1.01であった[8]。シッピングポート原子力発電所は25年間で約80,324時間稼働し、約74億キロワット時の電力を生み出した[1]

このような特殊性のため、アメリカ合衆国政府以外の情報源ではシッピングポートは「PWR実証炉」であり、アメリカ合衆国の「最初の完全に商用のPWR」はヤンキーロー原子力発電所(英語版)であると見なしているものもある[10]。シッピングポート原子力発電所は商用に特化して建設されなかった。結果として、シッピングポートのキロワットあたりの建設費は、従来の発電所の約10倍であった[7][11]
建設建設中の原子炉圧力容器(1956年)

1953年、ドワイト・D・アイゼンハワーアメリカ合衆国大統領は国際連合平和のための原子力の演説を行った。商用の原子力発電は彼の計画の基礎となるものであった。デュケイン・ライト・カンパニー(英語版)による提案は、リッコーヴァー海軍大将によって認められ、シッピングポート原子力発電所の計画が開始した[要出典]。

レイバー・デーである1954年9月6日に着工した。起工式ではアイゼンハワーが遠隔で最初の土をすくった。[3]1957年12月2日午前4時30分、最初の臨界を達成した[3]。16日後の12月18日に初めて発電し、1957年12月23日に最大出力に達したが[3]、まだ試験モードであった。アイゼンハワーは1958年5月26日にシッピングポート原子力発電所の操業を開始した。この発電所は32か月の時間と7,250万ドルの費用をかけて建設された[2]

シッピングポート原子力発電所の原子炉は便宜的に用いられたものであった。アメリカ原子力委員会 (AEC)は送電網接続された原子炉を建設することを勧告した。当時利用可能な唯一の適切な原子炉は、海軍が望んでいたもののアイゼンハワーによって拒否されたばかりの原子力空母のためのものであった[4]

AECのケネス・ニコルスは、リッコーヴァーが「今やそれを正当化するための特別な用途がない、進行中の組織と原子炉を持っている」ことと、リッコーヴァーとウェスティングハウスの空母向け加圧水型原子炉が「発電を実証するための原子炉にとって最良の選択」であることが「明らかになった」と述べた。これは1954年1月にルイス・ストローズ(英語版)と委員会によって承認された。デュケイン・ライトが公共事業の提携企業として承認されたことが3月11日に発表された。レイバー・デーに行われた起工式はデンバーで原子力について演説を行っていたアイゼンハワーによって開始された。リッコーヴァーは土を押す無人のブルドーザーが埋まって失速しないように、ドーザーブレードを土の下に6インチの埋められた2本のレールの上に乗せた。[12]

濃縮率が5%を超えることのない後の商用発電炉と異なり、シッピングポートの原子炉が濃縮率93%のウランを使用している理由はプロジェクトの起源によって説明することができる[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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