シッティング・ブル
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この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートの「中立性に関する疑問提起」節を参照してください。(2020年3月)
タタンカ・イヨタケ(シッティング・ブル)

シッティング・ブル(Sitting Bull)、本名タタンカ・イヨタケ(Tatanka Iyotake)、(1831年 - 1890年12月15日)は、ネイティブ・アメリカンラコタスー族のオグララ族に属するハンクパパ族の戦士、呪術師。しばしば誤解されるが酋長、族長、指導者ではない。
生い立ち

スー族の年代記が伝えるタタンカ・イヨタケの生い立ちは次のようなものである。タタンカ・イヨタケ、またはタタンカ・ヨタンカ(座れる雄牛)は、ダコタ準州(現在で言うサウスダコタ州)のグランド川のそばで[1]ある暗い夜に、ハンクパパ族のリターンズ・アゲイン、またはジャンピング・ブルという名の大戦士のひとり息子として生まれた。この赤ん坊の力強い泣き声と、ふくろうの泣き声とともに雲間から現れた満月を見て、父親はこの赤ん坊が将来偉大な人物となるだろうと予感し、「ホカ・プシチャ(跳ねるアナグマ)」と名付けた。

父、リターンズ・アゲインは狩猟民族の呪術師であり、狩猟動物との交信は生業だった。あるとき、父親リターンズ・アゲインが3人の戦士と狩りに出て、野営のたき火を囲んでいるときに、一頭のバッファローが近づいてきた。バッファローは神秘的なささやきで、「座る雄牛、跳ねる雄牛、雌牛と共に立つ雄牛、孤独な雄牛」の四つの名を繰り返した。リターンズ・アゲインは直ちにこれを「バッファローが自分(リターンズ・アゲイン)、あるいは他者に贈る新しい名を選ばせているのだ」と理解し、「タタンカ・イヨタケ(座せる雄牛=シッティング・ブル)」という名を選び、これを贈り名とした。

女ばかりのきょうだいのなかで、男は彼一人だった。一番上の姉のプリティー・フェザーは背負子に彼を入れて馬に載せ、草原を走って勇者の歌を聞かせてくれた。一度トラボイ(二本の棒を犬や馬に結わえ、地引橇にしたもの)を引いていた犬が暴走したことがあったが、子供用の駕籠に入っていた幼いシッティング・ブルは泣き出すどころか大喜びしていた。幼い頃から思慮深く、食べ物などに悠然と手を伸ばす様子を見て、父親は次に彼に「ハンケシュニー(ゆっくり)」という名をつけた。この児童の生まれたときからの豪胆さは、早くからハンクパパでも認められ、叔父のフォア・ホーンも、この少年の将来性について、リターンズ・アゲインの予言に同意した。

ハンケシュニーは父親からいつでも矢を持って飛び出せるよう、戦士として教育を受けた。8歳のときに、父親は彼を川向うへ行かせ、フォア・ホーンに狼の鳴き真似をさせ、茂みを揺らして脅かすよう頼んだ。しかしハンケシュニーは全く動じなかった。父親は栄誉の羽根冠を被り、たくさんの馬を持っていた大戦士だった。インディアンの習いに従い、息子を祝って部族民に贈り物を送る、ギブ・アウェイの祝宴を開いた際に、父親は息子に強力な弓矢を贈った。

ハンケシュニーは10歳のときに初めてバッファローを仕留めた。12歳のとき、バッファロー狩りの最中にバッファローの子牛が彼に襲いかかった。ハンケシュニーは子牛の角を掴んで抑え込み、その背中に飛び乗って、これを乗り回した。父親はこれを聞いて祝宴を開いている。

14歳のときに、父親は彼に「クー・スティック」を与えた。これは、「クー数え」の戦で使う、「?」の形をした棒である。「クー数え」というのは、当時の平原インディアンの栄誉あるスポーツであり、娯楽だった。まず戦士団が馬で平原に繰り出し、他の部族の戦士団を見つけたら、騎馬戦を行う。この中で時には激しい命のやり取りもあるが、最も栄誉とされたのはこの「クー・スティックで相手の体を触るか、叩く(「クー」[2])」ことだった。たくさんの「クー」を稼いだものは、勇敢さのしるしに鷲の羽が贈られ、それは偉大な戦士の頭を飾る羽根冠となって、この栄誉の羽根を縫い込んだ布が長く足元まで垂らされた。

ハンケシュニー少年はクロウ族[3]とのクー数えの戦に20騎ほどの戦士団が出発した時に、灰色馬を赤く塗り、自分を黄色く塗って後をこっそりついて行った。戦の場で少年は最前線に飛び出し、クロウ族の戦士が矢を射ろうとした時に、すばやく「クー」を加え、戦線から離脱した。村に帰ると、父親は息子のこの武勇に大喜びし、「息子は敵を叩いた。息子は勇敢だ!これから息子の名はタタンカ・イヨタケだ!」と叫び、かねてバッファローから贈られた「タタンカ・イヨタケ(シッティング・ブル)」の名を息子に贈った。

1847年、15歳のシッティング・ブルは一度仲間と夜間にクロウ族の村へ平原インディアンの栄誉あるスポーツである「馬盗み」に出かけ、大量の馬を盗んで帰る途上で朝方、クロウ族に追い付かれた。シッティング・ブルは一人の戦士と、互いに馬を下りて撃ち合いとなり、この際に左足を銃弾が貫通した。ナイフでクロウ族のとどめを刺したシッティング・ブルだったが、この怪我のため、生涯片足を引きずって歩くこととなった。

17歳のときに、初めて人を殺したが、これは慈悲心からの行いだった。ハンクパパ族の女たちがクロウ族の女の捕虜を火炙りにすることに決め、松の木にこの女を縛り付けて周りに積んだ雑木に火をつけた。シッティング・ブルはこの女を哀れに思い、火に巻かれる前に彼女を弓矢で殺してやったのである。シッティング・ブルはハンサムではなかったが、礼儀正しく親切だったので、女たちから非常にもてた。生涯で9人の妻を得ている。

やがてシッティング・ブルは自分の霊的な資質に気づいた。一度狩りに出た際に一休みしていると、灰色熊が覆いかぶさってきて、そばのキツツキが死んだふりをしているよう彼に囁きかけている夢を見た。目を覚ますと、熊もキツツキも現実のことだった。夢知らせの通りにじっとしていると、やがて熊は少し離れたところをうろうろし始めた。キツツキは、「鳥の人たち」と話の出来るシッティング・ブルは、いずれ部族の偉大な存在になるだろうと告げた。彼はキツツキの指示通りに熊の四本の脚の中心に矢を撃ち込んでこれを殺し、その爪を抜いて首飾りにした。以後、クー数えの栄誉である鷲の羽の冠と、熊の爪の首飾りは、シッティング・ブルの最も大切な宝物となった。

また、パハサパ(ブラックヒルズ)の湖で、高い岩山から呼ぶ声を聞いた。彼が岩山をよじ登ってみると鷲[4]が留まっていた。これを彼は将来自分が大戦士になる予言であると解釈した。二本の矢で負傷した狼が彼のところにやってきて、「もし私を助ければ、お前の名は偉大なものとなるだろう」と告げたこともあった。彼はこの狼の矢を抜いて傷の手当てをしてやった。

青年となったシッティング・ブルは勇敢な戦士としての名を高め、「アキチタ」(警護の戦士)や「トカラ」(キット・フォックス戦士団)に加わり、25歳で「チャンテ・チンザ」(ストロング・ハート戦士団)のもっとも勇敢な戦士として、赤い長帯を肩に掛ける栄誉を得た。


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